一緒にいるわけ | アジアご飯、とくにマレーシアご飯、時々つぶやき

アジアご飯、とくにマレーシアご飯、時々つぶやき

2005年から2009年までの4年間、常夏のマレーシアで暮らしていました。2年過ぎた今でも、日本食は「ハレ」の料理でちょっぴりよそよそしく、アジア飯のほうが「ケ=日常」のご飯で、ホッとします。私にとっての食とは、味わいながら、みんなとつながることです。

一難去ってまたいろいろ。ひとつが解決したかと思うと、また新しい悩みがポコッと出現。仕事なんてそんなもんだといえばそうなのだけど、なかなかどうして。ふーっとタメ息をつきながら、ふんばっております。

 

さて、先週末プーケットに行ってきた。そこで彼といろいろ話したら、意外なことを言ってくれて、嬉しかったとともに、へーっと思った。それはあまりにも瞬間のできごとで、言葉にできない曖昧なことで、決して自分でコントロールできることじゃなくて。そんなことを10年経った今でも覚えててくれてるんだ…とびっくりした。

 

そして思った。もしかしたら、誰かが誰かと一緒にいるという理由って、「性格が合う」とか「考え方が尊敬できる」とか、もしくは「体が合う」とかそんなことじゃなくて、絶対に言葉にはできない突然の「心の触れ合い」なのかもしれないなぁって。

 

それは誰も予期できず、誰も意図していなくて、相手が何かを感じてるなんて、もうひとりはまったく分からなくて。まるで、神さまが何かの拍子でポロッと手から落っことしたみたいに、空から降ってくるプレゼント。そんなものが、誰かと誰かを引き合わせて、友達になったり、恋人になったり、そしてときには夫婦となって、他人同士が一生一緒にいる理由なのかもしれない。

 

瞬間に、永遠の命がある。

そんなことを思った。