焦点をあてること (22/Jan/2008) | アジアご飯、とくにマレーシアご飯、時々つぶやき

アジアご飯、とくにマレーシアご飯、時々つぶやき

2005年から2009年までの4年間、常夏のマレーシアで暮らしていました。2年過ぎた今でも、日本食は「ハレ」の料理でちょっぴりよそよそしく、アジア飯のほうが「ケ=日常」のご飯で、ホッとします。私にとっての食とは、味わいながら、みんなとつながることです。


心がワクワクすることに目を向けよう。

 

最近、そんなことを思って暮らしている。ワクワクしないことやブツブツ言いたくなることは、身の周りにあることはありますが、同時に楽しいことや嬉しいこともちゃんとあって、そこにきちんと目を向けて、味わっていこうと思う。

 

それはたぶん、カメラのレンズと同じで。

もっと言うなれば、人間の目の焦点と同じなんです。

 

たとえば、カメラって、ピントをきゅーっと合わせた部分以外は、ふんわりとぼけるでしょう。目だって、じっと見ているところには焦点があうけど、そのほかの景色はぼんやりと目に入っているだけでしょう。以前、3台ほど前方に急にUターンをしようとする車がいて、思わずじっと凝視してしまっていたら、すぐ目の前の車がブレーキをかけていることに気づかず、ゴンとぶつかったことがある。それって、目の前の車が止まっていることは視界に入っていたはずなのに、見てなかったってこと。実際に状況は存在していたのに、わたしは気づいてなかったってこと。それはつまり、わたしにとっては事実じゃなかった、ってことなんです。

 

物理的な現象として起こっているものでも、人がそれを認識するかしないかで、その人にとっての事実かどうかは変わる。それを事実にするかしないかは、その人次第なんだと思う。

 

先日、新しいカメラを購入して、とっても使い心地がよくて、ワクワクしている。なかでも、絞りを開いて、ピンを1点にぎゅーっと集めた写真を撮ってみたいと思っている。そんな写真に惹かれるのは、きっと、わたしの目が今まで、絞りを小さくして、目に見える範囲すべてのものをくっきり見ようとして、たくさんの情報を一度に理解しようとして、それはそれで悪いことではないけれど、ちょっと情報におぼれそうで、あっぷあっぷしていたからだと思う。

 

たくさんの情報のなかで生きてはおりますが、わたしにとって必要なことって、きっとそんなに多くないんだ。目に入っていても、じっと見る必要のないものはきっといっぱいあるんだ。そんなことに気を取られているよりも、ちゃんと、きちんと、見たほうがいいことに目を向けたほうが、100倍いいもんね。

 

運転をしながら、交差点で交通整理をするおまわりさんをじっと見つめながら、なんだかそんなことを思った昨日でした。

 

PS: 昨日、マハティール元首相を見ました。とーっても素敵で驚いた!70歳以上なんて、ぜんぜん見えません!50代後半くらいに見えた!