久しぶりにブツブツ思う。 『明日の記憶』 | アジアご飯、とくにマレーシアご飯、時々つぶやき

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2005年から2009年までの4年間、常夏のマレーシアで暮らしていました。2年過ぎた今でも、日本食は「ハレ」の料理でちょっぴりよそよそしく、アジア飯のほうが「ケ=日常」のご飯で、ホッとします。私にとっての食とは、味わいながら、みんなとつながることです。

『明日の記憶』という映画が、もうすぐ公開される。

働きざかりの男性が、若年性アルツハイマー病になり、

妻とともに生きる姿を描いた作品だそうだ。

 

渡辺謙が主演&エグゼクティブプロデューサーで、

糸井重里のウェブサイト「ほぼ日」で、

ふたりのメール交換が行われた。

 

謙さんは、アルツハイマー病が進行していく主人公を演じるとき、

「彼が、何のために生き、何に向かっていくのか・・・」と考えたそうだ。

そして、ふとおぼろげながらに見えてきたことがあったという。

 

「もしかしたら、あの庭に立つ木の様な存在になっていくのかと・・・」

 

謙さんは言う。

「木は喋りません。

いやもしかしたら、木の言葉で

何かを囁いているのかも知れません。

でも、僕には聞こえない。耳をすませてみても・・・。

奴なりに季節や温度、天気、辛さ、春の喜び、雨の恵み・・・

様々感じているに違いありません。

生きているのです。

動かなくても、そっと少しずつ枝を繁らせ、

地面で根っこをチビチビ伸ばしている。

優しいじゃありませんか。何かを与える優しさじゃなく、

優しく生きてる気がしません? (ほぼ日 ウェブサイトより)」

 

痴呆になった、わたしのおばあちゃん。

おばあちゃんが、木のような存在になったと、もし思えたら…。

それは、謙さんのいうとおり、すごく優しいと思う。

謙さんの言葉で、わたしの心はすこし救われたような

優しい空気に満たされたような、そんな気がする。

 

悲しみや、切ない思い出は、

一度は克服したと思っていて、

そのときはもう平気、と思っていて、
実際、心も平穏でいたのに。

 

でもなぜか、ふと甦って、ふと思い返して、心をすっと切なくさせる。

しんどかったときの心がそのまま再現YTRのように甦えり、
胸を締めつける。

 

思い出は決して消えない、ということの証なのだろうか。

なぜかよく分からないけど、

最近よく、おばあちゃんのことを思い出す。