充電期 | アジアご飯、とくにマレーシアご飯、時々つぶやき

アジアご飯、とくにマレーシアご飯、時々つぶやき

2005年から2009年までの4年間、常夏のマレーシアで暮らしていました。2年過ぎた今でも、日本食は「ハレ」の料理でちょっぴりよそよそしく、アジア飯のほうが「ケ=日常」のご飯で、ホッとします。私にとっての食とは、味わいながら、みんなとつながることです。

最近、空っぽな気がする。

何を書くにも、何を考えるにも、
無のところから無理やり作り出しているようで、
いくつもある素材のなかから選び出している感じがしない。

ここ数年、仕事やブログに書いて書いて。
そんでもって、すっかりわたしのなかの情報や
思いが枯渇してしまったように思う。

きっと人はデジタルカメラの充電池と同じで
ときに時間をかけて充電が必要で、
エネルギー一時的に満タンになったとしても、
使えば少しずつ何かを失っていく存在な気がする。

それが生きているということだと思う。
アウトプットだけ、何かを語りかえるだけ、では生きられない。
インプットし、誰かから語りかけてもらはなければ、擦り切れてしまう。

まずは本を読もう。
そして映画を見よう。
こんな普通のことを宣言するのもなんだけど、
そうやってエネルギーを充電させたいと思う。