実家には、小さな庭がある。
カラフルな花が季節で顔をだし、木は空に向かって枝をのばす。
ときに枯れたり、葉っぱを散らしたり。
大輪の椿がパーッと咲き、何日か後にはポッキリと落ちたりする。
大人になったある日、
実家の木々の葉っぱの色鮮やかさに、心がドキッと脈をうったことがある。
それは雨あがり。水にしっとり濡れた木々の緑が
生命エネルギーをたっぷりと色濃く湛えていて、
それがあまりにも生ナマしくて、
正直、すこし怖かった。
いまのわたしの部屋を満たすものは、
パソコン、テレビ、机、CD、本、楽器……。
それらは、自分で息をし、自分で成長しているような生物ではない。
気づかないうちに背丈が伸びていたり、
水をあげないと死んでしまったり、
毎年同じ時期に花を咲かせたり、
寿命がくると生命を絶ったりするような
そんなものではない。
息をせず、便利にわたしの指示に従ってくれる無機質なモノ。
いつの間にかわたしは、
そんなモノたちと自分を同化してしまっているような気がする。
手入れをしなくても、電源さえ入れれば、いつも動いてくれる強固なわたし。
壊れれば、修理をしすればいいし、
すっかり動かなくなれば、誰かと交換が可能な、使い捨てのわたし。
無機質なモノという仲間に囲まれていると安心し、
うごめく生命のエネルギーの前では圧倒され、
不安を覚えるようになってしまった。
本当は、わたしは人間なんだよ。
息をして、ご飯をたべて、エネルギーを発している生命体だよ。
パソコンよりも、大きな木のほうがずっとずっと仲間なんだよ。
パソコンルームよりも、ジャングルのほうが、
居心地がよく感じられるはずなんだよ。
机、椅子、窓……そんな、めったなことが無い限り、
その機能を失うほど破損することはないものと、
わたしを一緒にしないで。
年月がたてば必ず歳を取り、肉体は衰えて、
意識は変化し、生き方も変わる。
それが人間という生命体。
きっと自然のなかで暮らしていた昔の人は、
そういうことを肌で知っていたのだろうな。
生があれば死があり、それは自然の法則だということを
自然のなかで他の生物体と接して、実感していたのだろうな。
きっと自然と接しないということは、
己をコンピューターにしてしまうのと同じことなんだろうな。