聞こえない友人に、こんな人がいる。
あるときは声でペラペラと話してくれ、
あるときは日本手話で表情豊かに語りかけてくる。
理由は、とってもイッツシンプル!
付き合っている男によって言語が変わるのだ。
つまり、声でペラペラのときは聴者の男、
手話でベラベラのときはろう者の男、というわけ。
「ロック好きの男」だったら、CDを買いまくり、
「お洒落好きの男」だったら、洋服に気を使う。
こんなふうに男の好みに合わせるのと同じように、
手話と日本語を無意識に使い分ける。
それって、すごく自然なことだと思う。
なぜなら、言葉は「気持ちを伝える」ための単なる手段だから。
伝えたい相手によって言葉が変わるのは当然のこと。
今もまだ、手話独自の文法をもつ「日本手話」と
日本語をそのまま語順どおりに置き換えた「日本語対応手話」の
対立は続いているようだけども、
いちばん大切なのは、伝えたい相手に内容を分かってもらうこと。
そのために相手によって伝え方を分けるのは、自然なことだと思う。
だから、本当に日本手話、日本語対応手話のどちらもOKなのだと思う。
ただ、2年間ほど本格的に手話の世界に浸かってみて思うのは、
やはり、目でみる言葉としては「日本手話」のほうが優れた性質を
もっている。
だって、よくできているんだもの。
空間を使い、その場面を再現し、あたかもそこで起こったように表現する。
空間に表現され、一瞬で消えてしまう「言葉」を一目見ただけで、
伝えたいことをすぐにつかむことができる。
それは、目で見る言葉として、日本手話が発展を続けてきた
成果の表れなのだ。
それに対して、日本語を母国語とするわたしでさえも、
正直、音声なしの日本語対応手話を読み取るのは難しい。
音声言語は、耳で聞く言語としては優れているけれども、
そのまま空間に置き換えても、その特性は発揮されない。
わたしが分からないのに、ましてや日本語を第二言語とする
聞こえない人が理解できるだろうか、いや分かるはずがない。
「日本語と日本手話は違う」
こんなことは手話業界にいる人には常識である。
でも、国のお偉いさんたちや、ろう学校を管理している人たちは
ほとんど知らない。
日本手話は、“法律”に「言語」として記載されていないので、
ろう学校では手話を補助的手段としてしか認めてないし、
手話を正式に教えることもない。
またNHKの手話ニュースでも、
聞こえるキャスターは「声で話しながら、手話で表す」なんて
芸当を平気でやらされる。
文法体系が違う2つの言語を同時に表すなんて、
聖徳太子も真っ青の離れ業だよ。
英語と日本語を同時にしゃべる、いっこく堂みたいなもんだよ。
冒頭の彼女。
いま付き合っているのは、なんと高校生。
きっと若者手話
(日本語でいうと、ワタシ、○○ダシーとかチョーという感じ)
をバリバリ使いこなしているんだろうな~。
それが言葉の本質なんだと思う。