連日飲み会で、若くない胃はヨタヨタだし、
最後だからという言い訳で、暴言を吐いて反省するし、
だから今日こそ控えめにするぞ、と心に誓うのに、
やっぱり飲んでしまう。
送別会で集まってくれるので、
わたしの分をみんなでおごってくれたりして、
ひょえ~こんなに飲んじゃったのに、おごられちゃうよぉ!と
心底申し訳なくて、
失敗した……と猛烈に後悔するのに、
それでもまた、やっぱり、飲んでしまう。
それには理由がある。
どうも、恥ずかしいのだよ。
送別会って、名目とはいえ、わたしの送別会でしょう。
わたしのために、みんなが集まってくれるなんて、結婚式以来かな。
もうそれだけで、恥ずかしいやら、申し訳ないやら、
ありがたいやら、みんなも忙しいだろうに、とか考えると
もうたまらなくなって、
そして、飲んでしまう。
スピーチを求められたり、
乾杯のとき「がんばって」とか言われちゃうと、
これまた、泣けるような、温かいような、
もう、いたたまれない気持ちになって、
そしてまた、焼酎お湯割りお代わりっ!と叫んでしまう。
今までたくさんの送別会に出たけれど、
送られるほうは、こんな気持ちだったんだね。
そして思う。
大学のサークルの友人、高校の部活の友人、手話関係の仲間、
取材で知り合った友、もと会社の同期、仕事仲間、ネットの友人……。
いろんな人に会って、
「この人の、あの言葉で勇気付けられたなぁ」
「あのときメールをもらってなければ、続けられなかっただろう」
と思い出して、あらためて感じる。
あぁ、わたしがわたしである部分なんて、ちっぽけだ、って。
わたしは、わたしではなく、
周りの人の言葉や、思いや、優しさで作られている。
わたしが、わたしで思ったことや、
わたしが、わたしでできたことなんて、
蟻ンコ以下で、ノミくらいに小さくて。
わたしができたことや、
わたしが目に見えてやり遂げたことは、
全部全部、周りの人が手を差し伸べてくれたことなんだ。
今まで出合ったすべての出来事と人たちによって、
わたしは作られている。
それがひとつでもかけていたら、きっとわたしは、わたしで無い。
わたしも、誰かの体を作っているでしょうか?
わたしの言葉や思いで、誰かが形作られているでしょうか?
わたしがそうしてもらっているように、
わたしも誰かの体になりたいと切に思う。
今までも、これからも、そうやって生きていこう。
いかん!
ゆず♪を聞きながら書いたら、泣けてきた!!
そして今日も飲み会。
明日は昼から用事で、夜は4時間の立ち見ライブなので、
ほどほどに……、って可能でしょうか。ねぇ。