いろんな場所で、いろんな場面で
みんな「こころ」について考える。
「からだ」の健康が大切なのと同じように
健全な「こころ」が必要だと思っている。
でも、しかし!
「こころなんて無い。あるのは、臓器だけ」
と言い放つ“こころ”の本を見つけた!
脳天直撃の理論。読みながら、しばし呆然。
『こころのひみつ』寺門琢己&田口ランディ著。
それによると「感性とは、からだから離れないもの」らしい。
つまり、感じるとは、こころではなく、“からだ”が反応すること。
なかでも、焦点を合わせるという効率(平面的)を求めたことで
奥行き、立体性を感じる能力を減衰させてしまった“視覚”よりも、
効率化が促されていない“嗅覚”のほうが、より直観的に感じる
ことができるんだって。
ほんでね、こころってもんは、実体の無いもので、
言葉にできないのが当然なんだって。
清らかで平穏なこころは、言語化できるはずがないと断言。
だから、反対にいえば、言葉にできるこころとは、
人のマイナスな言葉が自分のなかに入り込んで
蓄積され、ひとつの魂を持ってしまったとき。
つまり、言葉にできるこころとは、
“邪悪”なものなんだって。
ま、そう考えてみると
精神や、こころを扱った本がいつも
“こころの闇”や“こころのトラウマ”を扱っているのは
当然なわけで。
それ以外に、言語化できない、健全なこころもあるということを
きちんと認識しておく必要があるのかもね。
あとね。からだ、という自然性を否定して
より高度な意識体であることに優位的価値をもたせようと
したのは誰かというと、それは宗教なんだって。
あるひとつの目的を成し遂げるために
あるひとつの神を崇拝するために
からだよりも、こころの大切さを説いたんだって。
その考え方に、わたしたちは影響され続けてるんだって。
ふむー。じゃー、“こころが伝えられない”
とわたしが悩むのも、めっちゃ当然なことで、当たり前なのかぁ。
うーん……、分かるような、分からないような。
言葉に出来ない、と言葉にしてるのも、なんだか不思議な感じ。
でもさ。こころが言葉に出来ないなら、
ライターとして、どうすればいいのか。何を求めればいいのぉ。
なんだか、まだストンときませんぜぃ、ランディさん