大学時代の恩師に会った。
変な話しだけど、最近は、会えばいつもケンカ。
「お前は分かってない!」
「だったら、どうだっていうんですか!」
そういう議論の繰り返しで、
恩師もわたしもホトホト疲れてしまう。
わたしの悪いところでもあるのだけど、
「あんたは、こうだ!」と頭ごなしに決め付けられると
内容がどうであれ、それだけで反発してしまう。
決め付けられることが、ものすごく嫌なのだ。
しかし、久しぶりに恩師と会うわけだし
このタイミングで声をかけてくれたということは
なにか大切なことを教えてくれるのかもしれない。
もっと、きちんと言葉を聴いてみよう。
「何を書いているのか?」
「コスメやジュエリー、レストラン取材をしています」
「それは、お金を稼ぐためのものだろう。音はそれを
認識しているのか?」
「でも、いい経験ですよ」
「どうして、いつも、そう能天気なんだ!!」
いつもどおりの展開になりそうになるので、
聞いてみたかった質問をする。
「私が書くとか、そういうことは抜きにして、
もしも、聞こえない人についての本があったとしたら
先生はどういう内容の本を読んでみたいですか?」
「彼らが、障害とか、そういうことを抜きにして、
何を考えているか知りたい」
「というと?」
「障害があるから苦労しているとか、そういう観点は
こちら側サイドのものだ。彼らは、障害とともに
生きているわけだから、そこで何を感じているのか。
たとえば、彼らが感じている社会への不満。
それは、僕たちにも共通するものだろう」
「それは分かります」
恩師は、聞こえない人の生(ナマ)の声が聞きたいという。
「今まで聞こえない人の辛い面、マイナスな面ばかりが
クローズアップされてきた気がします。だから
楽しい生の声を伝えてもいいわけですよね」
「なにー! そうじゃない!」
恩師は、また怒りだす。
「楽しいことを伝えるのは結構。でも、その中に潜む
問題を分かった上で伝えるのと、ただ単に楽しいこと
だけを伝えているのでは、訳が違う。その違いの大切さ
が音には分かるのか?」
「でも、取材をして色んな方にお会いしましたけど
みんな楽しく、自分らしく生きていらっしゃいましたよ」
「それは、音がそういうスタンスで聞くから、見せない
だけじゃないか!」
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
まだ納得できない。
「日本政府が戦後に作り上げてきた差別の体制。
そういうことを少しでも勉強したことがあるのか?
少なくとも僕は、お前よりは知っている!」
「そりゃ、そうでしょうよー」
いかん、いかん。議論が紛糾しそうになる。
もうひとつ聞いてみる。
「アメリカのほうが、障害者に対する福祉が進んでいる
のですけど、どうしてだと思いますか?」
「お前はどう思うんだ?」
「日本は、単一民族で…」
「なにー! 単一民族なんて言葉を軽々しく使うなー!」
「たしかに、アイヌの方とかはいらっしゃいますけど……。
訂正します。日本語という、同じ母語を持つ人が割合的に多いので
それ以外の人を認めない風土があるのかなと思います」
「言葉の意味をきちんと知らないで、文章が書けると
思っているのか? 少なくとも日本は単一民族なんかではない。
戦中に日本語を強制的に話させられた人たちがいることも忘れるな!
単一民族のように見せられているんだよ、
そのほうが都合がいいからな!」
しばし沈黙。じーっと考える。
恩師の言葉は、話し言葉というよりも、論文言葉で、
その回りくどい言い方を、私の言葉に翻訳するのには時間がかかる。
ピザをつまみながら、必死で考える。
つまりだ。恩師はこういいたいのだと思う。
「目に見えたことだけを信じて書いても、意味が無い。
本人が実感している、していないに関係なく
その奥に潜むことをきちんと知らなければいけない」
それができてこそ、誰かに伝えるという行為が可能になるのだと。
また、わたしが“楽しいこと”を伝えることの
「危険性」についても、言いたかったのだと思う。
たとえば、私が楽しいことを伝えて、
聞こえない人も聞こえる人も同じだ、と書くとする。
分かってくれる人もいるだろうし、
差別という壁が無くなるところもあるだろう。
だがしかし、それが悪用されたら?
たとえば政府の人が悪用したら?
「なーんだ、聞こえない人も、聞こえる人と同じで
不自由なく暮らしているんだ。だったら
『障害者手帳』『障害者年金』を無くしてもいよな」
という、理論の根拠にされてしまったら?
それは違う。それは、わたしは望んでいない。
政府とか、日本とか、社会とか、
そういうものを飛び越えたところの思いを伝えたいのだけれど、
先生の言うとおり、そういう組織が存在しているのは確かだ。
そういう中で、みな生きている。
そっかぁ……。なるほど。
ハッピーな姿を伝えて、聞こえる・聞こえないに関係なく、
みんなが共に生きていけるという主張と、
聞こえない人が障害者割引を受けられることの論理的なつながりを
自分なりに見つけておかなければいけないんだなぁ……。
すごく難しいし(涙)、苦手だ(涙)。
でも、たしかに必要なことなのだよな。。。
どなたか、意見があったら、ぜひ教えてください。。。