べてるに学ぶ おりていく 生き方 | アジアご飯、とくにマレーシアご飯、時々つぶやき

アジアご飯、とくにマレーシアご飯、時々つぶやき

2005年から2009年までの4年間、常夏のマレーシアで暮らしていました。2年過ぎた今でも、日本食は「ハレ」の料理でちょっぴりよそよそしく、アジア飯のほうが「ケ=日常」のご飯で、ホッとします。私にとっての食とは、味わいながら、みんなとつながることです。

べてる。

ランディさんやAKIRAさんのHPをのぞくと、よく現れる名称。
ざっと読むと、精神障害をかかえた人たちが生活する場所らしい。
ランディさんの言葉をかりると、
“その病から逃れるのではなく、なぜそういう症状が起きるかを自己分析
し、幻聴にも「幻聴さん」と名前をつけて、自分の症状と折り合いをつけ
ながら楽に生きていこう”
という考えのもと暮らしている。
ランディさん、AKIRAさんだけでなく、年間1000人以上の見学者が訪れ
北海道の浦河という、過疎の町を支える産業にもなっているのだとか。

そんなべてるが、公開シンポジウムを、あの、「東大」で開くという。
司会は、東京大学教授“上野千鶴子”。
パネリストのなかには、作家“田口ランディ”。

これは、スゴイ! なんせ上野千鶴子さんといえば、
わたしの価値観をみごとにボキボキ、ガシャン、グリグリ、
とぶっ壊した本(遥洋子著『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』)に
登場した主人公だし、
ランディさんは、ホームページのブログを毎日チェックするファン。
そんなふたりを一緒に見ることができて、さらにべてるの話も聞ける
なんて!(さらにいえば、東大の講堂に初入場できて、会費はタダ)

行ってきました、先週の金曜日。
なるだけ詳細に再現レポートしたいと思います!
(なぜなら、したいから!)

講堂には人人人。階段にも人。260人の机がぎっしり埋まり、
立ち見もいる。
はじめに、べてるの創始者のひとりである、ソーシャルワーカーの
向谷地さんから、「べてるとは」の説明がある。・・・・・・と思ったら、
べてるのメンバー木林さん
(と聞こえたのですが、違ったらゴメンナサイ)が歌を歌った。

その名も、平成ずんどこ節の替え歌!
「ずん、ずん、ずんどこ、とうだい!」
きざきさんの大声が、会場全体に届く。
飾らない。気取らない。まんまの姿で、きすぎさんは舞台の上に立つ。
歌詞をきいて、会場全体にどっと笑いが舞い降りる。
これか? これが、べてるワールドか?

パネリストは9人。潔(キヨシ)どんこと、ミスターべてるを筆頭に、
べてるメンバーは4人。
あとは、べてるに関わるスタッフ2人、ランディさん、東大教授1人。

潔どんは、はじめから興奮気味だ。
なんせ、ここは、東大だから。
「いやー、東大は美人さんばかりで、驚いたー」
「僕はカタマル病気で、いまでも病院に入ると、出られないかも
 しれません」
「僕は特殊学校に通っていました。東大のみなさんとは、
 よく分からんですけど、偏差値ですか? それは違う。
 でも、頭のなかは同じかもしれませんな、ワハハハ」
「なんか、言うてることが、分からんくなりました、ガハハハ」

潔どんという名前だからか、そのふくよかな体格のせいか、
テレビドラマの山下清さんのようにも見えてくる。
ヘビースモーカーのようで、シンポジウム中に3回
ステージを降りて、タバコを吸いに行った。

先ほどの向谷地さんは、こういう。
「潔さんに会ったとき、僕のなかにあった秩序というものが、
 全部壊されました。なぜなら行動が予想できないから。
 期待した成果はもたらさないですし」

べてるメンバーの川崎さんは、べてるの家爆発救助隊隊長だ。
「僕は、ときどき爆発をします」
「べてるでは、病気について、みんなと語り合っています。
 病気って楽しいね。病気っていいね、と」
「みんなと語り合って思うのは、病気とともに生きることです。
 病気の世界の道案内をすることです」
流暢ではない。ゆっくりとした口調で、少しおどついたような
声にも聞こえる。

川崎さんは、東大にいくということで、
前日も爆発を起こしそうになったらしい。向谷地さんに電話をかけ、
「東大に行くんだー!東大に行くんだー!」と言ったそうだ。

それは自己分析すると、こういうことらしい。
「自分の中に、過去の自分がいて、
 東大に行くなんて、僕はすごいんだ、東大生と同じくらいすごいんだ、
 東大生とタメ口で話したりするかもしれないんだ、と言ってくる。
 そう思うと、自分はすごい気がして、200%の自分になる。
 その状態で、べてるのみんなに会うと、みんなとは違う気がして、
 話せなくなる。そうしていると、ここにいる自分はダメなんだ、
 自分はダメなんだ、ダメ人間だといってくる。
 そうして自分が20%になる」

川崎さんは、すごく律儀だ。スライドの前を横切るときは
「ここ、通ってもよろしいんでしょうか?」
とハッキリ聞く。スライドの文章を読むときは
「僕は、この文章の意味が、まだよく咀嚼できてないんですが」
といって、自分の言葉を続ける。
「僕が爆発しそうになって電話をしたら、向谷地さんは、
“落ち込んだときのような首のたれ方。それは後ろからみたら、
 結構カコイイんじゃないか”、と言いました」

上野さんはいう。
「川崎さんに会ったとき、3秒で分かりました。
 この人には嘘や、ごまかしが通じない人だ、と」

べてるメンバーの渡辺さんは、摂食障害のプリンセスだ。
「摂食障害を回復するために、何回も分析してきました。
 文献も読みました。
 頭では分かる。でも、それで?という気持ちでした」
彼女は、上野さんにいわせると
実に鮮やかな自己分析をしているという。
「そう言って下さるのですが、あれは私ひとりではなく
 みんなで作り上げたものです。だから、あのようにできた
 のだと思います」
仲間で作り上げた。仲間がいたからできた。

でも、“仲間に何かをしてあげる”というニュアンスになると、
渡辺さんは拒絶する。
「何かをしてあげる、その、あげる、と言う言葉は大っきらいです。
 それは、してあげると同時に、してもらったほうは、
 何かを返さなければいけないという義務感が生じる気がするから
 です。べてるの仲間は、何かをしてあげたり、してもらったりする
 存在じゃない。もちろんまったく違うわけではないけど、
 私が今まで感じてきたモノとは違う、居心地のよさがあります」

治してあげる。治してもらう。
指導してあげる。指導してもらう。
教えてあげる。教えてもらう。
養ってあげる。養ってもらう。
その関係で無意識に育つ、強固な主従関係。
それに、渡辺さんは力の続くかぎり抵抗してきたのかもしれない。

ランディさんはいう。
「私も病気なんです。それは、何かをしてあげたい病。
 べてるの人を見てても、そう思う。
 これが治したくても、治らない」
潔どんはいう。
「それはね、自分自身に満足できてないからだよ」

べてるの家を支える精神科医、川村さんは、
“治せない、治さない医療”を極める。
「はじめ浦河の病院に来たとき、患者さんが、
 医者には話さないことを
 ソーシャルワーカーの向谷地さんに、なんでも話している。
 これは、どうしてだろう、と思いました」
「向谷地さんは、精神病の人を連れてくるとき
 “先生、宝の山を連れてきました”というんです」
「だいたい経験からいうと、“先生のおかげで治りました”と
 いってくる人は、その後の経過があまりよくない。
 “自分の気持ちを話せるようになった”
 “友人ができた”などと話していて、
 ふと思いついたように“先生もおったか”
 くらいの人のほうが、経過がいいんです」

川村さんは、自分は科学的なほうだという。
つまり、浦河という場所で日々をすごし、
現実をしっかり見つめて歩いてきたら、今にたどり着いたんだと。

東大教授の市野川さんはいう。
「確かに、べてるには興味があるし、ユニークだと思う。
 でも、だからといって、今の精神科医の先生たちが努力を
 惜しんでいないわけではない。
 べてるの存在と、今の医学をつないでいくこと。それを考えたい」
実際べてるは、皇居に招かれ、国連で公演をし、今日は東大にきた。
べてるの存在は、徐々に知られ、学会での発表も予定されている。

でも、どうも、べてるの人は、「べてるを広げたい、広げるべきだ」
とは思っていないように、わたしには見える。

「なぜ、これだけ世間がべてるに関心をもっているのに、
 ほかには広がっていかないのでしょう」
そういう上野さんの質問には、べてるの人はあまり反応しない。
ノラリクラリと意識的にかわしているようにも見えるし、
まったく無関心のようにも感じる。

たぶん、「どこかに広げるということ」。
誰かに「これは良いことなんだ」と伝えること。
それは、“あがっていく”ことなんだと思う。

このシンポジウムのテーマ、
<べてるに学ぶ ―おりていく―生き方>にもあるように、
べてるの人は、“おりていく”生き方をしている。

潔どんに言わせれば、“おりていく”とは、
「誰もがみんな、あがろうとする。
 でも、あがることは、どれだけ危険なことか。
 おりることは、どんなに楽なことか。
 おりるということは、飾らない。正直。そんなことだ」

べてるの人は、見学者を拒まない。
偏見、差別大歓迎という。
こちらが問えば、きっと喜んで、なんでも教えてくれると思う。

でも、自分たちのやってることが、すべてマルでないことを、
べてるの人たちは、じゅうぶんに知っている。
「これがいいことだ」と価値観を押し付けられることの
キケン性を知っている。
それが、たとえどんなことであっても。

「これがいい、これをした方がうまくいくよ」。
そうやって誰かに伝え、いい方向に歩もうとするのは、
“あがっていく”生き方だ。
たぶん、“おりていく”生き方とは、
人それぞれバラバラで、適当で、いい加減。
「知りたければ知ればいい。でも僕たちは、今はこう思ってるけど、
 将来のことなんて、なんにも分からねーから」。って。

向谷地さんは、
“人を心から信じる”という難しい技をどうやって
手に入れたの?という質問に
「やけくそで信じているだけです。
 僕らのいう“信じる”という言葉は、みんなよりいい加減で
 美しくないと思います」
と言って、会場全体を笑いの渦に巻き込んだ。

潔どんは笑う。
「東大にいるなんて、何年か前には信じられないことだったー」
「東大の頭で、どれだけべてるに近づけるかだな、ガハハ」

木林さんが、戦争を知らない子どもたちの替え歌で、
“べてるを知らない大人たち”を歌い、
そして、シンポジウムは終わった。


まだ興奮状態のまま、
わたしは、このブログを立ち上げ、そして書いている。
頭のなかは、まだぐちゃぐちゃだ。
でも、このぐちゃぐちゃなところをどうしても書き留めたかった。

会場を出て、本を買っていたら、
AKIRAさんを見つけた。あの髪型、顔は間違いない。
AKIRAさんが、こっちにやってくる。
潔どんを連れて、「紹介したい人がいるから」と話しかけている。

ちょうどAKIRAさんの「紹介したい人がいる」という言葉と、
わたしがじっとAKIRAさんを見ているタイミングが一致したみたいで、
潔どんは、わたしをみた。
「あー、この女性さんかねー」
間違いなくそういって、わたしをみた。

その瞬間を、今強烈に思い出している。