りぼんは、地域ではちと有名な父と
何事もきっちりした母のもと
ハネムーンベイビーの第一子長女として生を受ける。
 
父は私を溺愛し、
風邪引かさぬようにと温室のように
暖められた部屋で言葉通りぬくぬくと育った。

 
父がいる食卓では、私は膝の上で抱かれていた。
熱くないようにヤケドしないようにと
父の唇で温度を確かめて食べさせられていた。
 
おかげでとーーっても猫舌w 
そして猫手ww
 
後に妹弟が産まれ、
りぼんは段々とお姫様ではなくなる。
幼稚園に入っても父のおかげで特別扱いが多かった。
 
当時はよく分かっていなかったけど
なかなかの特別扱いだった。
小学校に入るとその特別扱いは無くて
 
それが理解できないりぼんには
厳しい初めての試練だった。
 
 
そして、きょうだいが産まれて、
優先されない自分に気づく。
これが2番目の試練だった。
 
弟の誕生で男の子を切望していた
家族の心、
父の心を知る。
 
え・・・私、女ぢゃいけないの?と小学生1年生ながらに悩む。
 
 
大好きな父がすぅと遠くなった。
と同時に父の膝がふたつしかなく
座れない自分、きょうだいに譲らなければならない
自分に気づく。
 
 
 
最初の通知簿
理科と図工が『三重〇』(さんじゅうまる)でなかった。
母は、私に理科のワークを一冊買い与え、絵画教室に申込んだ。
え・・・全部『三重〇』でないといけないの?
と重くのしかかるような圧力を感じる。
 
面談や役員会で母が学校に行くとロクなことは無く、
母は、担任や他の母親などの他人の言葉を
そのまま受け取って私を叱るもんだから
私は、理不尽な想いでいっぱいだった。
 
例えば、私は、忘れ物の多い子どもだった。
それを他の母親に指摘されて恥ずかしい思いをした母に
帰宅後、激昂される。

担任が〇〇くんを依怙贔屓するから、それが不公平であると
糾弾した私は、担任に更に より嫌われる。
担任は、母とは気が合ったらしく2年生になっても
その大嫌いなおばあさんの先生だった。
あーー今でも顔も名前の漢字まで覚えてるわw
 
りぼんをどうにかしないといけないwと
母と担任が話し合う。
 
へ?
 
どうにかしないといけないのか?私・・・
 
担任と母がグルで私を矯正すると思って苦しかった。
私は、他の子どもと同様に私の正義で生きていた。
でも
私の気持ちなんか誰もきいてくれない。
 
 
小学校なんか大嫌い。
 
嫌っている組織からは受け入れられることなく
面白くない小学校時代を過ごす。
 
大人になってからおもうに
めんどくさい 大人びた子どもだった。
 
学級会で論議することとプライベートは別!
なんて思ってたので
ディベートの後で友人がそっぽむくのが
理解できなかった。
意見を闘わせて話し合いをすることと
友情は別でしょう!
と憤慨した。
 
いやいや、こんな子どもおらへんわねw
 

 
 
あーなんだかね
 
急に湧いてきたの
 
悔しかった自分の気持ち
哀しかった気持ちを書き記してみるね
 
読んでくださってありがとう☆