最近、引きこもりや家庭内暴力という言葉を頻繁に耳にする。
テレビでコメンテーター達が様々な意見を言っている。
とある評論家が、
「仲の良い両親に育てられた子どもは健全だ。」
と言っていた。
一概にそうとは言えないと思う。その陰で寂しい思いをしている子どもがいるということを忘れていないだろうか。
私は父から、どんな時も甘えるな。どんな時も目標を持て、社会に迷惑をかけるな、と言われて育てられた。
気持ちが沈み一人で静かに考えたかった時も、人の心に土足で入られ、無理矢理引っ張っり出されて気がおかしくなりそうになったものだ。
気持ちが沈んでいるとき、そこから抜け出すためには、自力で上がるしかないと思う。
周囲ができることは、、、
無理矢理引っ張ることではない。
自分の力で抜け出すように、梯子をかけることだと思う。
人生には立ち止まることも必要だ。
ただ、その立ち止まる理由が
①次に進む為にエネルギーを溜める
②とにかく疲れたから休む。先の事まで考えることすらできないからとりあえず休む
①は先の目標を持っている。もしくは目標を持とうとしている状態
②は目標という言葉さえも聞きたくない状態
父は、①しか認めない。目標を持っていなければ、休むことも立ち止まること許さない。
私は、時には②も必要だと思う。敢えて言うなら目標を持たない状態で過ごすことが目標ってとこだろうか。
夫が亡くなり、忌引き開けと同日に仕事に復帰した。死亡手続きで追われる中、転職もした。
その後は残業、残業で目が回るような仕事量と、新人には負担が大き過ぎるくらいの責任の重い仕事。ブラックも甚だしい。
とにかく、悲しむ余裕もないくらい走り続けてきた。そして今も走り続けている。
疲れきって休みたい、、、
ボソッと父に言ったときも、何のために休むのか、休んだ後のビジョンはあるのか。そんな応えが返ってきた。
ただ疲れたから休みたい。
夫が亡くなった直後だろうと、どんな状況だろうとそれは通用しない。相変わらず厳しい父。
そんな時こそ母に気持ちを聞いてもらいたいものだが、母はというと、父が第一、父の考え方に絶対なのだ。
母にとって父は、知的で自慢の旦那様。子どもの時から、母に悩みを相談しようとすると、
必ずといって、「お父さんに相談してちょうだい。」だった。
母だけに聞いてもらいたいことも、父には全てつつぬけ、私の悩みは父によって論理的、合理的に理屈で無理やり片付けられた。
まるで父親が二人いるようなものだった。
今は父に対して、「(父の)考え方は理解はできるけど、受け入れることはできない。」と言えるが、昔は父の厳しい価値観に縛られて苦しんでいた。
そして、父を優先し、子どもの話を聞こうとしない母に対して失望と寂しさを感じていた。
当然のことだが、親へ手を挙げるするのは良くない。
そして当然だが親が子どもに愛情がないわけではない。
ただ、子どもの心に寄り添えない、子どもの声に耳を貸せないのは、一方的な愛情、押し付けの愛情で、そこには憎しみが生まれる可能性もある。
忘れないでほしい。
両親の仲が良すぎて、その陰で寂しい思いをしている孤独な子どもがいることを。
仲の良い両親、
それ以上に大切なのは
仲の良い家族
そうありたい。
夫を失った今、再び孤独感にどっぷり浸かってしまっている。そして、相変わらず両親の前では、マイナスな感情を出すのは許されない現状。
この孤独感が憎しみに変わることのないように、自分だけはどんな自分も認めてあげようと思う。
死別とはテーマが外れましたが、どうしても発せずにはいられなかったので、書かせてもらいました。
読んで頂きありがとうございました。