大きく人生がネガティブに傾き始めたのを

自覚したのは16歳のころ。

 

 

希望高校に入学したにもかかわらず、

だんだんと学生生活が苦しくなっていった。

 

 

高校3年生の時は不登校がちになり、

部屋に引きこもることが多くなる。

 

 

友人関係にも息苦しさを感じていたし、

教室にいることも苦痛だった。

一人になりたかった。

 

 

人が怖いと

思い始めたのはこの頃。

 

 

その気持ちを受け入れることができなかった。

 

 

『人が怖い』なんて人としておかしいでしょ.....。

と誰にも相談できなかった。

 

 

そんな心境の中、

もちろん勉学に集中できるはずがない。

先生の話も頭に入ってこない。

 

 

成績はどんどん下がるばかり。

目標を定めて受験に集中しているみんなを

横目に焦りばかりが増えて、

自分の道が全くわからなくなってしまった。

  

 

進路を決断できない.....

  

 

そんな中、金銭的に無理だと思っていた美術系短大の受験に

両親から許可がおりた。

元気のない私への親心だった。

 

 

しかし高額の美短大に入学したにも関わらず、

一年経たずに中退。

 

 

家出をした。

は、恥ずかしい....。

 

 

声をかけてくれた男性と一緒に、

東京に逃げた。

 

 

現実から逃げたかった私と彼は繋がった。

 

 

本郷の宿泊ホテルでの

住み込みのアルバイト先を見つけて、

二人での生活が始まった。

 

 

そして妊娠。

  

 

産婦人科で妊娠がわかったあの日に、

元気ですと送ったハガキの消印を頼りに

私を探しにきた両親とホテルのレストランで

ばったり出くわす。

 


親に頭を下げた。

「ごめんなさい」

 

 

のちに入籍を果たすが、

赤ちゃんは死産。

 

 

2年経たずに離婚を決意するも、

相手は承諾せず。

 

 

全く話し合いにならない中、

二人目の子供を妊娠。

嫌だと拒絶できなかった

無責任すぎる私。

 

 

それでも、

勇気を出して中絶を決め、

実家や親戚への家と逃げ隠れを続けた。

 

 

結局その全てを私に変わって両親が

肩をつけてくれたが、

なんとも情けない私。

  

 

離婚が成立した後に、

心配と苦労をかけた両親から自立する為に

グラフィックデザイン事務所に早々と就職を決める。

 

 

グラフィックデザインは、

短大で専攻していた。

  

 

絵を描くことが得意で、

大好きだった。

 

 

未来に希望を感じて、

新しい人生を再スタートさせた。

 

 

しかし見習いから始まったデザイン職を身につける日々は、

思っていた以上に過酷だった。

 

 

週休1日。

朝から夜中までと勤務時間を

大幅に超えることも多々増えていった。

 

 

仕事の効率が極端に悪かった私。

業務時間内にデザインが完成できないときは、

一人休日出勤で仕事を完了させるなど、

ほぼ働くだけの日々を過ごすことが多くなっていった。

 

 

寝不足とストレスを抱えながら、

根性で勤め続けたが、

合わせて対人恐怖症がどんどんと悪化。

 

 

そんな中、

仕事終わりに気晴らしのドライブをした後の帰宅中に

自動車事故を起こすという罪も

犯してしまった。

 

 

その事実を受け入れながら

謝罪の気持ちを一生忘れるな!と

罪悪感の意識で自分を叩いて来た。

 

 

私にとって、

厳しい現実が

目の前にどんどんと現れる。

 

 

全て私が悪いんです。

ごめんなさい。

 

 

会社にいても、

実家にいても、

車に乗って運転していても、

ため息しか漏れなかった。

  

 

そんな私にまた、

体力的にも精神的にも、

限界がくる。

 

 

入社9年目にして退職を決断。

 

 

フリーのデザイナーへと転身することを決意。

 

 

退職を目前にする中、

旧友から突然の連絡が入る。

 

 

面白い自己啓発のセミナーがあるから

来てみない?と声をかけられる。

 

 

もしかすると、

対人恐怖症が治るかもしれないと、

心の中でその可能性を信じ、

東京四ツ谷まで群馬から通い始める。

 

 

退職金から高額のセミナー代金を支払いながら、

おかしいと気づく。

 

 

10万円のセミナー代を支払った後に、

自己啓発が入り口の悪質な大きな宗教団体と気づく。

 

 

即受講をストップしたが、

嫌がらせの電話が自宅へと鳴り響く。

 

 

両親にまた迷惑をかけてしまった。

 

 

なぜこんなに私は問題ばかりを作ってしまうのか。。。。

 

 

全ての穴埋めをしたくて、

親に安心してもらいたくて、

人として認められたくて、

もっと頑張らなくては!と今度は、

心を病んだお姑さんのいる男性との結婚を決意する。

  

 

人のために生きることが

最良の人間の姿。

 

 

私が面倒を見ますと手をあげた。

が同居生活もまた容易なことではなかった。

 

 

家事一切を任された中、

主人とスタートさせたデザイナー業の両立で、

またストレスと疲労を貯めて行く。

 

 

苦労の末心を壊してしまったお義母さんに対しても、

言いたいことを我慢して

飲み込んで、飲み込んで......

ストレスはどんどんと体に溜まっていった。

 

 

さらに42歳という高齢で息子を出産してから

育児という仕事が増えた結果、

とうとう限界を超えてパッカーン😡

溜めて来た我慢が

漏れ出し、

一気に感情が爆発した。

 

 

同居14年目ごろのこと。

 

 

そこから、

嫁姑問題が表面化して、

大声で喧嘩することが増えていった。

 

 

主人ともずっと喧嘩が絶えなかった。

 

 

仕事も案件が激減し

貯金もどんどん減って行く中、

とうとう自分が

保てなくなっていた。

 

 

なぜこんなに頑張っているのに、

うまくいかないの!

と押し殺していた全ての感情が

主人を目の前に叫び声とともにあふれた。

 

 

もう全てを終わりにしたい!

と絶望の中で、

大切なことに気づかされる。 

 

 

苦しい現実しか

私の前に現れなかったその理由は 

 

 

人に媚びた生き方を

私が選択したから。

 

自分の本音を

私が飲み込んだから。

 

自分より他人の為に

私が生きると決めたから。

 

 

私が全て選択したという事実。

 

 

なら選択を間違えなければいい。

 

 

人に媚びることを

やめればいいはずだ。

 

 

自分の本音を

きちんと口に出せばいいはずだ。

 

 

他人より自分の為に

生きると決めればいいだけだ。

 

 

 

けれど、

今まで長くつけて来た習慣は、

手のひらを返す様にすぐには変われない。

 

 

しかも自分の本音を押し込んだ為、

本心が全くわからない。 

 

 

その全てを解決する為に、

ブログをスタートさせた。

 

  

嘘偽りのない自分の本音を

キャッチする為に

 

 

自分の本音をきちんと

口に出す習慣を身につける為に

 

 

イチからやり直しの人生を

このブログで再スタートさせて丸7年。

 

 

元気になりました私。

 

 

自分の本音を

キャッチできる私に成長しました。

 

 

自分の本音をきちんと口から出して、

人に伝えることができる様に

変化しました。

 

  

私が元気だと、

家族も元気になると、

やっと身をもってわかりました。

 

 

だから、

伝えたいんです。

 

  

  

髙橋雅美

 

 

自己対話と自己開示の

ブログ講座

スタートします!

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