前回、『人間は欲求を大元の原因として様々な活動をし、それらの集合が様々な現象(経済、宗教、文化)として現れてくる。そのような人間が作り出す場が「社会」で、それら個人レベルから、集団レベル、国家レベルまで様々な階層の社会現象はレベルに応じて種々の効用とともに葛藤も生み出す。だから、そのような葛藤を解消するための技術として法が生み出された。』と大体このようなことを書いた。
そんなことをなぜ長々書いてきたかといえば、自然科学と比較して社会科学の科学性というものに対して自分は何か頼りなさを感じてしまい、その勉強にそれほどの意義を感じられないという心の状態を前向きな状態に持っていきたかったからだろう。
自分はなぜ、社会というものに関心を持ち、法律の勉強をしていこうという欲求を持ったのかその意義を自分なりに確認しておかなければ、弱い自分はまた途中で心の核心部分がぼやけて、世の中にあふれる様々な誘惑に負けて、あらぬ方向へ行ってしまいかねない。
というわけで、僕は法学を学ぶ意義を「欲求をもとに行動する人間が作り出す様々な現象を、調整・管理する技術である法」を身に付けること、と定義づけて今日以降の日々を送っていこうと思う。