幸福論 | ageのブログ

ageのブログ

気軽に声を掛けて下さいね^^v




究極の幸福論とは知らぬが仏信じる者は救われる、これに尽きる。下手に悟ったり現実を知ることで人は不幸を感じてしまう。今どきの若者ならマトリックスやメタバースの中の世界が現実と錯覚して信じてしまえれば人生は楽しくなる。また、昔からある信仰も今は苦しくても必ず神や仏を信じれば救われる。この世で殉死ししてもあの世や天国があると信じ切れれば何も辛いことなど無い。水木しげるも『人生は単なる通過点に過ぎない』と言っている。辛くても楽しくても必ず終る人生。どんなに努力しても、人生はなるようにしかなら無い。ケ・セラ・セラ。だから諦めも肝心。扉が閉じた時には必ず新しい扉は開く様になってるが凡夫はそれに気ずかない。人生は修行の場なんだから辛く大変なのは当たり前、しかし、誰もが経験するあたり前の事なんだから嘆き悲しむ事は無い。楽しみながら生きて行けば良い。人の生き死にや幸不幸の姿を見てきた中で何が幸せなのか?幸せって何なのだろうか?と考え続けた答えがこれでした。今の自分を取り巻く環境や立場がどうあれ、その中で、自分はどう生きるかが大事です。世のため人のために生きながら自分自身も我慢せずに真っ当に生きるだけなんです。なんの不安も心配もいりません。それが正しい生き方と信じるだけ。人の道を外れた発言や行動だけはしてはなりません。それと意味のない自死も慎みましょう。戦争のために命を投げ出すことも勧めません。今ロシアがまた恥ずべき愚行をウクライナの人々に対して繰り返してます。昔から北方領土にロシアが侵略してきた時と同じです。略奪から暴行に強姦、拷問から虐殺。なんの罪のない赤ちゃんから老人まで無差別に無慈悲に大量に平然と殺して行く。全く今のウクライナの現実と同じです。欲にまみれて無意味に攻めてくる敵から国民を守るための防戦は必要かも知れないが降伏してきた兵士たちは殺してはいけない。そこからは理性を持って人の道を進まないといけない。人はなぜ修羅の道に足を踏み入れてしまうのだろう。物欲、金欲、性欲自分の名誉だけを守るため。昔は食欲だけで人を殺していた時代もあったが今、まさに世界中で起きてくる食糧難は目の前まで来ていて、また、そんな時代が訪れようとしてる。自分だけが生き延びれば他人は死んでも構わない。それが戦争の原点にある。何故、人は譲り合うことが出来ないのであろうか?他の動物たちの弱肉強食の世界とは人間の世界は少し違っている。生きるために弱い動物を食べるが意味のない狩りはしない。そして食べ物が無くなると自分の死を受け入れる。
その狭い世界しか知らなければ一生をその中で安らかに暮らす。しかし、広い世界を知ってしまうと欲は更に広がってしまう。知識も同じで知り過ぎると欲が出る。他人の物が欲しくなる。他人の生活が幸せに見えてくる。知らなければ今の生活で十分幸せを感じて良かったのに。知らぬが仏とは良く言ったものだ。何も知らない子どもたちの笑顔が全てを語っている。何もかもを知ってしまった大人たちの不幸な顔がどこまでも連なる世界がそこかしこにある。
自由を求めて、ロシアから亡命したミグ25のパイロットが日本を経由しアメリカに渡って一時は華やかな時代も過ごしたが晩年は不幸だった様で辛かった故郷に戻りたいと後悔していたとか。田舎暮らしの青年が都会に出てきて成功して一時的には華やかな生活を送っていても社会の荒波に揉まれて全てを失ったとしても、元に戻っただけなのに深い不幸を感じて、取り返しのつかない程の失意のどん底にまで突き落とされてしまう。更に希薄な人間関係もあって都会で自殺者が多いのも頷ける。一度、知ってしまった贅沢な暮らしやお金や名誉は誰もが決して離したくないものですから。
急に寒くなって来ましたね。
体調管理には気を付けて下さい。
サッカーも盛り上がってますね。
応援してます。
明日も良い日で、
おやすみなさい。