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Freedman Lab's PRIDE Blog

慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)デイビッド・フリードマン研究会のLGBTブログ

PRIDE/プライドの歴史の始まりは、1969年のアメリカ合衆国にさかのぼります。
当時の合衆国では、未だソドミー法(性行為に関する規制法)がイリノイ州を含む49州に存在しており、事実上のLGBT取締法として用いられていました。
そのような抑圧された状況の中、 LGBTがひっそりと集う、ゲイバーが集まる地帯がニューヨーク州にありました。
その中の一つであるストーンウォール・インに、1969年6月28日、警察による踏み込み捜査が行われ、その場にいたLGBT達はその捜査に真っ向から対抗し、暴動と化しました。
これが、ストーンウォールの反乱[Stonewall Riots]です。

それまで合衆国のLGBTは、ホモファイル運動という穏健な権利獲得運動を展開していました。
ホモファイル[homophile]とは、「homo:同性+phile:愛する」から成る造語で、ホモセクシュアル[homosexual]という用語は性的なイメージが強すぎるということから当時のLGBTはこの用語を好んで用いました。
これは、「神への冒涜」であり「社会を乱す者」と考えられていたLGBTが、自分たちは「無害」で「普通」であることをアピールすることで社会に受け入れてもらうことを目指した運動でした。
しかし、1950年代に比べ排除は弱まってきたものの、1960年代でもLGBTが異常者だと思われている状況は変わりませんでした。
それまでも警察によるゲイバーへの踏み込み捜査は行われていましたが、この日、この場所の捜査がなぜ暴動へと発展したのかははっきりとは分かっていません。
一説によると、LGBTコミュニティで当時絶大な人気を誇っていた女優ジュディ・ガーランドが6月22日に亡くなり、多くのLGBTが悲しみに暮れていたことが大きな要因となったようです。

この暴動を境に、LGBTの権利獲得運動は大きく舵を切り、ホモファイル運動より過激なゲイ・リベレーション運動が展開されることとなります。
それまでの運動とは異なり、LGBTとしての権利とプライドを全面に押し出す方向性を打ち出しました。
また、1970年6月末にニューヨーク州で暴動から1年を記念して行われたプライドパレードを皮切りに、現在では世界各地で「プライド」を冠したパレードが行われています。

プライドパレードにはレインボー・フラッグがつきものですが、これはジュディ・ガーランドが主演した映画「オズの魔法使」で歌った「虹の彼方に」から、また性の多様性を表すものとして、LGBTのアイコンには現在でも虹色(特に6色の虹)が用いられているからです。


by Yu