私は「新約聖書に登場する人物の中で誰が一番好きか」と問われたら「ペテロ」と答えると思う。彼の直情的でおっちょこちょいなところに自分を見るようで。。。

イエスが湖の上を歩いてやって来たときにペテロはイエスに対して「もしあなたなら私に命令して水の上を歩かせてください」と言い、水の上に立ち、強い風に気付いて怖くなり、湖に沈みかけるペテロ。「あなたは夜の明けるまでに三度わたしを否むであろう」とイエスに言われ、とんでもないとばかりに否定するが、イエスの言葉が成就してしまい激しく泣き出すペテロ。

人はみな弱いものである。のちに聖人と呼ばれる使徒たち、彼らも元々は弱いものであった。その彼らがイエスの死後に目覚めるのである。死をも怖れない、肉体の恐怖にも尻込みしない、イエスのためにひたすら迫害に耐える。不思議なこの変わりようは一体何故なのか?

ルカ4章38節以後によると、シモンのしゅうとめが高熱を出していたとき、人々がイエスに彼女のためにお願いしたと書いてあります。ペテロがお願いしたのではありません。ということは、ペテロははじめイエスを根っから信じていず、また病人が祈ったらなおるなどそんなばかなことがあるかという考え方を、持っていたのではないかと思われます。

 

[1] イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。 [2] イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。 [3] そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。 [4] 話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。 [5] シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。 [6] そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。 [7] そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。 [8] これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。 [9] とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。
‭ルカによる福音書 5:1-9 新共同訳‬


さらに、5章1~2節を見ると、群衆はみなイエスから神の言葉を聞こうと思って押し寄せているのに、シモンは一生懸命網を洗っていました。そこにもシモンという人は、神の言葉とか信仰とかいうものに対して、敬虔な生活をしていたというよりも、俗物的というか、魚一匹とるほうを大事とする態度がうかがえます。だからイエスが来ても母親の病気をなおしてくださいとは頼みませんでした。

また5章8節の「これを見てシモン・ペテロは、イエスのひざもとにひれ伏して言った。『主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です』」という彼の告白と合わせて考えてみると、彼がどんな人であったかを想像することができます。


シモン・ペテロは、その奇跡を目の当たりにして畏敬の念を抱きました。彼の最初の反応は、自分自身がこのお方の偉大さに比べて取るに足らない者だと感じたことでした。ペテロは、イエス様が病人を癒やし、悪霊を追い出されるのを知っていましたが、イエス様が彼の日常の仕事に気を配り、必要なものを理解してくださっていたことに驚きました。神は私たちを救うだけではなく、日々の活動においても私たちを支えることに関心を持っておられます。


神の言葉に背を向けていたペテロがどうして信仰に入り、イエスの弟子になったか、それは彼が一つの事実に出会ったからであります。イエスの言葉どおりにして魚がたくさんとれたことは、長い間漁師をしていた彼には考えられないことであって、人知をはるかに超えたものであったのです。そのとき彼はいままでの意地を張っていた生活、むやみに反発していた生活が、いかに愚かなものであるかがわかったのです。

信仰生活には、人知を超えた神の力、働きにふれることがなくてはなりません。そこから信仰は始まってくるのです。私たちが神を必要としているとか、信仰生活をするのがよいとか、そういうことが信仰の原動力ではないのです。神が私に迫ってきたから信仰せざるをえなくなる、福音を語らなければおれなくなるというものが、私たちの中に起こされてくるところに信仰の原型があると思います。


生まれつきの性格、性質などは、信仰生活をしたからといってそう変わるものではありません。しかし、そういったものがいつまでも大きく支配しているのは考えものです。そういったものが、ひっくり返されるような世界が、信仰の原点なのです。それはいったい何によって始まるかというと、ペテロが経験したように、魚がとれたという神の言葉の威力、生きた神の現臨にふれることです。そのでき事がペテロをして神の前に恐れおののかしめ、いままでと全く違った生活へと導いたのです。

そういう原体験というものを持たず、ただ本を読んだり、人の話を聞いたり、あるいは自分で考えたりして、キリスト教はどんなものかと、自分の側から信仰しているのは本物ではありません。人知をはるかに超えた神の愛、それを集約すると十字架のキリストに到着します。すなわち神は、私のために一人子を賜ったということ、それが大きな事実となってきたとき、私たちの内に変革が起こってきます。


信仰と言う以上は、神からの介入という事件があって、そこから始まるのであって、神の介入がなければ私たちの信仰もありません。イエスが生まれた、弟子たちのところへ聖霊が下ったなどはみな、神の介入であります。そのとき、何物も恐れないで福音を伝えていく者に変えられ、人がまだ目で見ず、耳で聞かず、思いもしなかったような世界に導かれる。キリスト教が福音であり、恩寵であり、与えられる宗教であると言われるゆえんはここにあります。

では、いったいどうすれば、その変革に、また神に出会うことができるのか。それは、「そしてそのとおりにした」という言葉に鍵があります。主イエスが、人の心の中におはいりになるためには、まずそれを砕かねばなりません。とくに、主の働き人として用いられる者の心を徹底的に砕かれます。ですからペテロだけがおそれを感じたのではありません。主イエスが私たちを用いようとされるならば、罪深さを知って、それをおそれるまでに砕かれねばならないのです。自分の心を見ても、神への信仰心にしても、クリスチャンの働きを見ても、絶望するほかはないまでに砕かれるのです。

もし「神から十分に」受けるならば、私たちはまず自分の足らなさと無力さを徹底的に知らされなければならないのです。ですから神の御手により全く砕かれた経験をしても驚く必要はありません。神の御国のために何かをすることは全く不可能に見えるのです。自分には何の資格もないと感じます。しかし、神の前に資格があると誇れる人は何人いるでしょうか。神のあわれみによってのみ、神の働きの一端をになう者とされているのです。このような謙遜さをもっている時にのみ、あなたの働きは実を結びます。

自分の無力さを感じているかもしれません。そのような無力感をもっている者を主は用いられます。神からの力を受けるためには、まず自分の無力さを認識している必要があります。神が恵みを与えるのは、砕かれた魂です。謙遜な人ほど魂のすなどり人としてふさわしい者はありません。

 

ご覧ください、主よ、満たされるべき空の器を。我が主よ、満たしてください。信仰の薄い私をどうか強めてください。私の愛は冷たい。私を温め隣人への愛を熱く燃え立たせてください。私には強い確固たる信仰がありません。時にはあなたを疑い、完全には信じゆだねられないこともあります。ああ、主よ、助けてください。私のあなたへの信仰と信頼を強めてください。私は自分の持っているすべての宝をあなたの内に封印しました。私は貧しくあなたは豊かで、貧しき者に慈悲深くあられるために来られました。私は罪人であなたは正しい。私にはおびただしい数の罪があり、あなたは義に満ち満ちておられます。それゆえ、私はあなたに留まりつづけるのです。私が受け取ることはできても、与えることのできないお方に。アーメン。
マルティン・ルター

 


イエス・キリストとシモン・ペテロの出会いは、聖書の中でいくつかの箇所で記されています。以下にその詳細を示します。

1. **ヨハネの福音書(ヨハネ1章35-42節)**:
- ペテロの弟アンデレは、洗礼ヨハネ(バプテスマのヨハネ)の弟子でした。
- アンデレはイエスが歩いているのを見て、「見よ、神の小羊だ」と言い、イエスが神の子(メシヤ)であることをアンデレに教えました。
- アンデレはイエスのもとへ行き、その日はイエスと過ごしました。
- 翌日、アンデレは兄ペテロ(シモン)にこのことを話し、イエスのもとへ連れて行きました。
- イエスはペテロを見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ(岩/ペテロ)と呼ぶことにする」と言われました⁴。

2. **ルカの福音書(ルカ5章1-11節)**:
- イエスがペテロの仕事場であるガリラヤ湖畔に現れました。
- ペテロは漁師であり、その日は一晩中働いても魚が取れなかった暗い気持ちでした。
- イエスはペテロの舟に乗り込み、網を下ろすように命じました。
- ペテロは網を下すと、奇跡的な大漁が起こりました。
- イエスはペテロに「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になるのです」と言われ、ペテロはすべてを捨ててイエスに従いました。

これらの出会いは、ペテロの新しい人生の始まりを象徴しており、イエスとの出会いが人生を変える重要な瞬間であったことを示しています。


サン・ピエトロ大聖堂は、バチカン市国南東端にあるカトリック教会の総本山。サン・ピエトロは「聖ペテロ」の意で、キリスト教の使徒聖ペテロのイタリア語であるサン・ピエトロに由来する。

カトリック教会の伝承によれば、もともと使徒ペトロの墓所を祀る聖堂とされ、キリスト教の教会建築としては世界最大級の大きさを誇る。床面積2万3,000m2。北に隣接してローマ教皇の住むバチカン宮殿、バチカン美術館などがあり、国全体が『バチカン市国』としてユネスコの世界遺産に登録されている。

創建は4世紀。現在の聖堂は2代目にあたり、1626年に完成したものである。ローマ教皇にふさわしい巨大教会堂として再建され、当時の第一級の芸術家たちがその造営に携わった。