今回の記事は「ノアの箱舟」として誰もが知る人類史上最大の大洪水の聖書箇所です。この洪水は、私たちが時折経験する局地的なものではなく、世界全体を覆う、前にも後にも例のない壮大な洪水でした。創世記7章11節に「その日に大いなる淵の源はことごとく破れ、天の窓が開けた」と記されているほどです。

 

[3] 主は言われた。 「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。
創世記 6:3


このみことばは、ある注解者によれば、神はノアの時代の人々に罪深い生活を改める機会として120年の猶予を与えたのだとしています。神はその大きな忍耐を私たちにも示されます。神は私たちが自分勝手な生き方をやめ、神の言葉に示されている道を歩むために時間を与えてくださっているのです。

120年は長い時間のように思えますが、やがて時間切れとなり、洪水が地表を一掃してしまいました。私たちの時間も終わりが近づいているかもしれません(2ペテロ3:10-14)。罪を赦していただけるよう、神に向かいましょう。悔い改めるための猶予を神がどのくらい与えてくださるかはわかりませんが、時が来たら、悔い改めの機会はもう与えられないのです。


ノアの生涯における物語は、ただ1つではなく、2つの大きなそして悲劇的な洪水を含んでいます。1つ目の洪水は悪そのものです。創造主であり、完全であり、愛に満ちた神を覚えている者はたった1人、ノアだけに減少してしまいました。神の民としてノアだけが残されました。このような厳しい状況の中で神は最後のチャンスをお与えになられました。

その期間中に神はノアに命じて、彼の人生を図示するかのようなものを作らせました。自分の考えを主張するために、乾いた地上に巨大な船を造ることは考えられませんが、ノアにとって、従順であることは、この建造事業に長く携わることでした。

継続してある事業に関わることは、多くの人にとっては困難です。興味深いことにノアが示した従順の期間は、現代人の一生よりも長いと言われています。これに匹敵する長期的な事業は、私たちの人生そのものかもしれません。これはノアの生涯が私たちに投げかける大きなチャレンジの一つであり、神の恵みを受け入れ、従順で感謝の心を持ち続けることが求められているのです。

 

 

[5] 主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、 [6] 地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。 [7] 主は言われた。 「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」
‭創世記 6:5-7


地は神の前に堕落し人間が自分の道を見出していました。ここでリセットしなければならないというふうに神様はお考えになられます。地球は神が意図したような完璧な楽園ではなくなったのです。全人類がこんなにも速く神を忘れてしまうとは恐ろしいことであります。

そんな全世界の中でただ一人、ノアとその家族だけがまだ神を礼拝していました。その誠実さと従順さのゆえ神はノアとその家族を全人類を滅ぼす大洪水から守られたのです。ここには神がいかに罪を憎み、罪を楽しむ者たちをいかに罰せられるかが示されています。


THE BIBLEを見るといつも神様は裁きを行う時には必ず救いの道というのも用意してくださいます。ですから全世界を水が覆って人々はみんな溺死してしまうのですが、唯一救われる方法も神様はお考えになられました。その方法とは何でしょうか?それがノアの箱舟というものです。

神様はノアという人物に目を留めて彼にやがて大洪水が起きるから箱舟を造りなさいとお命じになったのです。非常に細かい設計図まで与えてくださいました。

神は巨大な船を造るように告げるとノアはすぐ仕事に着手しました。他の人々もノアからこれから訪れる天災の警告を聞いていたでしょうがそんなことが起こるとは信じていませんでした。今日でも状況はそれほど変わっていません。毎日、何千人という人々が避けられない神の裁きに関して警告を受けていますが、ほとんどの人がそれが本当に起こるとは信じていません。


造ったのはノアと彼の3人の息子たち、そしてノアの妻と息子たちの妻たちです。ノアには妻がおり、二人には3人の息子がいました。それぞれの息子には妻がいました。船に乗った人間は合計で8人です。船という漢字は、左側に舟を書き、右側に8つの口を書きます。口は人口を意味するので、人数を表しています。8人がこの船で救われたという事実が、中国で作られた漢字に表されているのは興味深いですね。

 

 

[18] わたしはあなたと契約を立てる。あなたは妻子や嫁たちと共に箱舟に入りなさい。 [19] また、すべて命あるもの、すべて肉なるものから、二つずつ箱舟に連れて入り、あなたと共に生き延びるようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。 [20] それぞれの鳥、それぞれの家畜、それぞれの地を這うものが、二つずつあなたのところへ来て、生き延びるようにしなさい。
‭創世記 6:18-20


ノアに世界中に行って動物を連れて来いって言ったら大変です。これは神様がやってくださったのです。どんどん動物がやって来ました。ノアたちもそろそろ方舟に入ろうと言ってその家族8人が入ります。それぞれが船に入ると「そこで主は彼のうしろの戸を閉ざされた。」と7章16節とあるようにノアたち自身が閉めたのではなく主が閉められたのです。時が満ち神はノアを箱舟に閉じ込めたのです。


「この閉じ込めは神の好意であり、神の愛である」と言えるでしょう。もし主がノアのために船尾の扉を閉じていなかったら、箱舟の中の単調さや煩わしさ、窮屈さに耐えられずに、ノアは外へ出てしまい、救いの恵みを失っていたかもしれません。

あの船の板1枚を隔てて内側は「安心な世界」、外側は「過酷な現実」です。「安心な世界」と「過酷な現実」は信じるか信じないかの違いです。現実は厳しく我々は弱い。誘惑は執拗であり我々の力は乏しい。そうした中で信仰の高嶺に立つために私たちは信仰の束縛を避けてはなりません。後ろの扉を閉じられる主を否んではならないのです。

「閉じ込めは神の好意」、ふと入院生活に重ね合わせてみた。事の起こりは胸の痛みだった。レントゲンを撮ると医師は一言「これ何だろう?」肺にゴルフボール大の影があった。一通りの検査を済ませていき、ある日、「結核です。保健所が迎えにいくので入院してください」と言われた。

「ひと月も入院すれば済むのではないか」軽く考えていた。しかし一向に結核菌がいなくならない。普通、病気で仕事を休めば収入が途絶えるが私は生活保護なので保護費がカットされる。しかしながら毎月の支払いというものは発生するわけで、これがボディーブロウのように身に応える。月数が増えるに応じて。

逃げ出したくなるが、そうもいかない。まさしく「箱舟への閉じ込め」である。きっと神の御旨によるものと自分を鼓舞し祈るしかない。神はいつも救いの道を用意していてくださるからと。