わたしがJWを辞めたとき、話を聞いてくれたJWではない友人が「これから青春楽しめるよ!」と元気づけてくれました。

当時アラサーだった私は、頭では「そうだよね、前を向いて頑張ろう」と思っていましたが、心の中は、「諦めなきゃいけないことがいっぱいあるんだ、悔しい、悲しい、今更だ。自由に、キラキラと楽しくできたはずの10代、20代は戻らない、こんな悔しいことってある??」と叫んでいました。


当時はその思いに寄り添って癒すことをせず、ただただJWで過ごした時間を恨み、JWの家庭に生まれなかったら、もっと早く反抗してやめていたら、JWにいても他人の目を気にせずにいろいろやってみればよかったのに、などなど、やりきれない後悔や理不尽な思いを沸々とさせていました。


そんな心の中の嘆きはそのままで、表面ではポジティブに人生を取り戻そうと頑張りました。

でも、満たされない、全力を出しきれない不完全燃焼の状態で、ずっと苦しさがつきまといました。


「嫌ならもっと早くやめればよかったのに」と言った母。

わたしに悪いことをしたなんて、わたしの人生からいろんな物を奪ったなんて、思ってもないんだと思いました。


そうだ、バプテスマを受けることを選んだのは私。

そして、アラサーになるまでJWを辞めなかったのも私だもの。

誰も責任をとってくれないのは当然だ。

だって辞めなかった私が悪いんだから。。

だから、何も言えない。。

そう、自分で自分に言い聞かせていました。

わたしはJWをやめても尚、感情を抑圧していました。


理不尽な思いでいっぱいの自分を納得させ抑圧するためには、たくさんのエネルギーが必要で、それでいつも体が重いし、コップを裏返しにしてその中に入れられてるような閉塞感を感じていました。


インナーチャイルドケアを始めて、自分のどんな思いも受け入れるということを知りました。

自分の闇も光も、ただただ、自分の中にあることを認める。それが自分を肯定することだと知りました。


そして、わたしは自分だけは、自分にダメ出しをしないと決めました。ダメ出ししないで、ふと湧いた思いを「わたしは◯○って思ってるんだね。」とだけいうようにしました。

そうしていくと、楽になっていくところもあるし、辛いですが癒しが必要な部分が、ひょっこりと顔を出すことがあります。


わたしの最近の癒しポイントは、「何をするにももう遅い」という思いです。

時間は誰にも返してもらえないし、お金でどうすることもできないし、諦めるしかないという絶望。残りの人生は退屈でつまらない、虚しい、と感じてしまっていました。


インナーチャイルドケアをして、被害者意識を手放そうと決めたのに、その時は思いっきり、被害者意識がぶり返します。


あの時の友人のように、「いやいや、人生いつからでもやり直せるよ。」などと言われるかもしれません。でも、そんなことを言われても、全然そう思えないくらいです。


わたしのチャイルドは、

「楽しそうなことは、こんな年になった自分は体験できるわけはがない」「自分にはどうせ与えられないんだ」と、拗ねています。


それに加えて

「ずっといい子でいたのに、ずっと言うこと聞いて我慢してきたのに、幸せになれてない、どうして?なんで?」とも言っていました。


私は、チャイルドに話しかけます。


そっか、そっか。

そう思うのも、無理ないよ。

だって、幸せになるためにずっとずっと我慢して、嫌なことを続けて、お母さんに気を遣って、人に遠慮しながら生きてきたんだもの。

それなのに、なんでわたしは報われないのって思っちゃうよね。悔しくて悲しいよね。


いまはわたしがお母さん。

わたしは、その気持ちがわかるよ。

そんな気持ちになっちゃうの、当たり前だと思うよ。

演技もするよ。そうじゃないと、生きていけない世界だったんだから。自分を偽っていないと、認めてもらえないし、自分の居場所がもらえなかったんだから。

JWをやめた時に、もっともっと気持ちを聞いてあげればよかったね。気がつかなくてごめんね。許してね。お母さんや宗教を恨んでも、怒っても、謝ってはもらえなくて、途方にくれるくらい悲しかったのに、自分が怒るのはお門違いなんだ!黙ってろ!何を言っても自分のせいだって言い返されるだけだぞ!って自分で言ってしまっていたんだね。そんなふうに、自分をもっと傷つけてしまってごめんね、許してね。

もっと若ければ、あの時JWじゃなければと、どうしようもできないことを、考えてしまうのも当然だよ。当たり前だよ。そう思ってしまうほど、悲しいんだよ。悔しいんだよ。


どうしようもない悲しみや悔しさがあること、わたしはわかっているよ。見ないふりはもうしないよ。悲しみや悔しさを、一緒に見ているよ。

だから、いつでも見せてくれて大丈夫だよ。

もう逃げないで、見ているからね。


そう自分のインナーチャイルドに話しかけていると、「わたしの魂の望み」という言葉がふっと湧いてきました。


わたしの魂は、この世界に生まれたら、思いっきり楽しみ、笑い、感動し、涙し、人と愛を循環し、そんな人生を送りたいと願っていたんだ。

本当はそう望んで生まれてきたんだ。


時間は確かに戻らないし、

後悔や悔しさも全部は消えないでしょう。


でも、本当のわたしの願いは消えません。

幸せになりたい、愛ある人生を生きたいという思いが消えなかったから、そうじゃない状態でいると生きづらさや苦しさをずっと感じていたのだと思います。

そしてその答えとして、私の場合はインナーチャイルドケアに会うことができました。


わたしはわたしの望みや願いを、そのまま「ある」とちゃんと認めていきたいと思います。

それがわたしの傷ついたインナーチャイルドを癒すことだと思うのです。