最近、すごく困ってどうしたらよいかわからないことがあって、その時に、はたと思ったことがありました。


JW時代は、そういう困った時には迷わずに「エホバ助けてください!守ってください!」と必死に祈りました。そして、絶対エホバは聞いてくれるという確信がありました。(エホバのご意志であれば、という条件があるのですが、必死な時は都合よく考えていました。。)


私の場合、必死に祈ると、不安が減って落ち着くような気がして。それだけでも精神的に楽になりました。


わたしは、JWを辞めた時に、母に「頼るものがなくなって可哀想」と言われました。

「もう、あなたは神から見放された人間、困っても、危険な目にあっても、誰も何も救ってくれないんだよ」と言われたような気がしました。

その言葉が、ずっとずっと頭から離れませんでした。


JWでいた30年近く、言い方は悪いですが「祈ればなんとかなる」という考えでいたので、JWを辞めた私は、もう自分を守ってくれるものはないんだ、なんともならないんだ!と怖くなりました。

それはそれは、不安になりました。


悔しいけど、母の言う通り自分は何からも守られていない存在なんだと思いました。

マインドコントロールもあったかもですが、この恐怖や不安が、JWを辞めた罰なんだと思いました。


気が小さくて心配性で臆病なわたしは、本当は自分を守ってくれる神のような大きな存在があってほしいと、強く願っていたのに、わたしは「何にも、誰にも、頼るものはないんだ、頼ってはいけないんだ」と自分に言い聞かせました。

「そもそも他力本願な考え方はよくないんだ」とか

「自分の中に答えがあるんだ、自分と自分の関係が大事なんだから!」とか

自分を叱咤激励し続けていました。


自分で納得してJWを辞めた無宗教のわたしには、もう祈る相手はいない、助けてくれる存在はいないと思わなければ。

さらに、インナーチャイルドケアを知ったから、他人に求めてはいけない、自分が自分を満たさなくては!と言い聞かせました。


ところが、インナーチャイルドケアをして、自分で自分を癒して、以前よりも楽になった部分がありながら、なかなか癒えない痛みがありました。


自分を大事にしてたら、こんなの消えるって思っても、私の中の孤独や劣等感や悲しさがなかなか消えませんでした。


どうして消えないのか?

いろいろ考えました。

そして自分が抑圧していたものに気づきました。


本当は、わたしは

「誰かに守ってほしい。誰かに助けてほしい。

誰かに一緒にいてほしい!」

と、ずっと思っていたし、言いたかったんだと。


インナーチャイルドケアを知った時に、「わたしと一緒にいて!」という声は、小さな時にお母さんに言いたかったことで、自分の思うようにいかなくて我慢してたことだと気付き、もうお母さんにはかなえてもらえないのだから、大人になった自分が一緒にいてあげるんだと、意気込みました。


でも、早く楽になりたいと思うばかりに、

「ほら、わたしがお母さんなって、話し聞いてあげてるじゃない、まだ寂しいの?なんで?これで満足してよ!だって他人はずっとは癒してくれないんだよ?」と、チャイルドの気持ちを抑えつけてしまってたのかもしれません。


わたし、何かに頼りたいんだー

誰かに話を聞いてもらいたいんだー

誰かに助けてもらいたいんだー

誰かと一緒にいたいんだー


その気持ちを、抑えないで、まずわたしが優しく聞いてあげなきゃ、いけなかったんだ。と思いました。

自分に優しくするとは、どんな自分の声も、まず自分が聞いて、肯定することなんだと、あらためて思いました。


自分には祈っても聞いてくれる存在はない

心の穴は全部自分でうめなきゃいけない


こういう思考が、心からの本音を抑えてしまっていたんだなと思います。


わたしはJWを辞めても、「エホバしか祈りをきいてくれる存在はない。エホバが認めているJWしか祈りがきかれない。それ以外は守られていない」という信念を持ち続けていました。


それをスッキリと手放しきれるかはわかりません。


でも、「自分は本当に神のような存在からは見放された人間なの?」「自分は祈っても意味がないの?」と問いかけることが、今の自分にはできるようになりました。


それだけでも、自分を縛り付けてたものから解放されるのかと思います。

初めはすごくちっちゃくしか聞こえないけど、自分のチャイルドのほんとの声を聞いて、拾って、「あぁそっかぁ。こんなこと思ってたんだね。」って優しく優しく包みこんで、さっさと解決しないで、ゆっくりゆっくりその気もちを、ひたすら感じていきたいと、あらためて思い直しています。