【転記】体罰はただの犯罪です | 矯正知力〇.六

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メモ的ブログ

以下、mixiの猫王さんの日記より転記。

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『愛のムチなんて、言い訳にすぎない』

殴られて分かったというのは、ただのきっかけにすぎないのです

だいたい、殴られたから何かが分かるというのは
人の思考を考えた場合、論理的にありえない
ですよね

心の底で、悪いことをしていると、そもそも理解していただけ
殴られたのがきっかけになったに過ぎないのであって
体罰によって、間違いを知るというのとは
まったく違いますよ

体罰を望む側の心理としては
主に二つあるんですよね
私は専門家じゃないから、抜け落ちているモノもあるかも知れませんけど

一つは、ストックホルムシンドローム
もう一つは、親の愛情不信から来る「愛しているなら構って欲しい」という心理に起因するもの

子供は、ダイレクトにこの心理が働いて体罰を望むけれど
大人で体罰を支持する人は
過去にそういう体験があって、それを美化しているか
未だに成長しきれていないかです

何も体罰を支持する人たちを
「お前らガキだな!」と揶揄しているのではないですよ

多かれ少なかれ、人はそういう未熟な部分を持って成長するものです
成熟した部分と未熟な部分を合わせ持つ、不均等な成長の仕方をするのです


んで、どういう心理であれ
体罰によって良い効果があったとしても
そのことが、教育効果への因果関係は立証不可能だし
存在もしていないんですよね
世界中の教育研究に置いてね

殴られて心に響いたというのは
人の情緒や感性、生まれ育った環境、経験などの
多様性を表しているだけなのです

そういう多様な部分を、政策や制度としての教育として肯定するのは
一部を全体に言えるとする行為で、間違いなんですよね
理屈がそもそも通らないのです


体罰とは、子どもに対する指導力が足りないというのが全てで
それを、愛の鞭でもなんでもいいんですけど
体罰で補うというのは、無茶苦茶です

「言葉で伝わらない→だから体罰」

これは、論理の飛躍でしかないです


愛の鞭について、もう一つ

例えば、おっかない先生っていますよね
同時に、とてもやさしい甘い先生もいます
私も、塾講師のときは
講師陣で話し合って、そういう役割を戦略的に分担してやってました
生徒とプロレスも、よくやりました
間接技とかかけてましたよw

私も、子ども時代
信頼している先生に
「アホか!」と頭を軽くはたかれても、なんとも思いませんでした

その上に、私は大阪人なので
大阪では、特に私の周りでは
暴力的な言葉が、風土的なもので
日常会話に飛び交うのです

毎日のように、「殺すぞ」とか「しばくぞ」とか、私も言ってました
先生でも、そのような言葉を挨拶のように使う人もいました

んでね、こういうのはね
信頼関係の上に成り立つんです
生徒と教師の信頼関係
友達同士の信頼関係
それが成り立っていれば、スキンシップなんですよ

お互いの合意があって、誰も不快になったり
不快にさせようとしてやってるわけじゃなく
そのことを、互いが理解していて受け入れているわけですから

こういうスキンシップまで
「お前死ね!」とか笑いながらはたいて
されたほうも十分わかっていて受け入れる
こういうのまで、体罰といったら
文章表現の世界の、言葉狩りと同じ様なもんです
教条的に、杓子定規に、なんでもいけない
私の言ってるのは、そういう屁理屈じゃないんですよ

こういう信頼関係や合意がなく
形式的で一方的な、これが人のためになるという主観で
何か強制させたり暴力をくわえるということが
体罰なんですよ


こういう違いをハッキリしないと
なにがなんでも、すべてが悪いの?
などと、混沌としてしまいます

信頼と合意なき
一方の側の、一方的な思いこみいよる行為は
問題があります


ただ!
合意があれば何でもいいという訳じゃありませんよ

「合意があるからいいんだ」という屁理屈がまかり通れば
恐怖支配によって、合意を作り上げることが出来ますし
被害者が、被害を被っていると気づかない場合もあります
DVなんかで、女性が
「この人は私のために殴ってくれているのだ、これは愛だ」
なんて思い込みによって、DV事件が深刻化しますよね

教育とは、なぜそうなのか
道理を諭し、説得し
相手に頭で理解させるものですから

生徒が、「俺アホなんで分かるまで殴ってください!」
そう言ったところで
殴ってしまえば、それは体罰です

殴ったところで、数学の公式は覚えないですよね
同じように、なぜそうなのか
道理は、殴っても理解できません



真面目に体罰の是非を考えたいのであれば
以下のサイトをご覧になることを、お勧めします

「体罰」問題資料館


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以下、勝手に某所より引用


『体罰は犯罪であり、学校だけが治外法権である現状を容認してはならない』

体罰は犯罪である。
学校教育法11条により、何らかの罰はあっていいが
体罰だけは許されないとはっきり記されている。
国連の子供の権利条約にも反している。

それ以前に大人がか弱い子供たちに暴力をふるうことは
どんな理由があろうと容認されてはならない。

体罰が横行することで子供たちに
「強い立場の者が弱い立場の者を暴力で恐怖を植え付けて支配することは、正しい」
という歪んだ価値観を植え付けることが
イジメをはじめとする少年非行の原因である。
学校でイジメがなくならないのは教師が
「イジメは正しい」という教育をしてるんだから仕方ない。

しかし一方でこうして体罰があった学校を晒し者にすることも
そういったイジメ肯定思想そのものであり
教育委員会が学校を虐め、学校がそこの教師を虐め、
教師が生徒を虐め、生徒がより弱い生徒を虐めるという
このピラミッド型弱肉強食構造を元から経たなければ何も解決はしない。

以上、引用終了


そもそも、他人の人権を侵害してもよいという犯罪行為を称賛、奨励するような
犯罪者とまったく変わらない心理のやつが
躾けがどうの、教育がどうのと
まるで自分は正しい側であるかのように錯覚して、他人を叩く
狂気に支配された、おかしな連中だ
クトゥルフでも見たんかい?


>言っても聞かない子には手が出ても仕方がない

聞かへんのは、分かるように言ってないから!
理解度は人それぞれやし
子供はまだ論理力が見に付いていないから
子供に合わせて分かるように話すことが大切

こんなん、「発達心理学」や「教育心理学」では
初歩中の初歩とちゃうんかい!

だいたい、分かれへんのやったら
分かるまで教えるのが教育とちゃうんかい!
その場限り、怒ってどついて押さえつけても
当の子供が理解してへんかったら
またおんなじことを繰り返すぞ!

そんでまたどつかれて、萎縮して
歪んだ子供が育つんとちゃうんか?

「説得と納得」というのは、教育だけじゃなくて
コミュニケーションの基本やろ

そういう自分の側の力量を問わずに
俺の言うことを聞けへんのやったら
「目にモノ言わしたるで!」というのをな
政治家がやったらな
それは「ファシズム」っちゅうんねん


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以下は、過去にうちが体罰問題を扱ったときに
頂いたコメントです
参考までに、投稿して下さった本人に
無許可で転載いたします(笑)


体罰の問題点
・教育的効果が疑わしい(上記したように、体罰によって納得する人間は話だけでも納得すると推測される)。
・民主的ではない(日本は民主主義の国らしいが、そのことを教育するためには、教育現場こそが民主的でなければ説得力がない)。

教育現場の問題点
・リソースが足りない(一般に教員1人あたり、10人から20人ぐらいの生徒の面倒を見るのが限界。また問題を起こした生徒の面倒を見るために多大な時間を取られると、他の生徒がおざなりになってしまう)。
・専門知識の不足(何が問題であるか理解していない教師が多い。何をどうすれば良いか判らないから、手っ取り早く体罰に走る)。
・教員間の協力体制がない(特に小学校は一人の担任が全教科を教えるため、担任は一国一城の主になりがち。そのため、横の交流が少なくなり教員間で相談するという文化があまりない。また、職員会議も上意下達の場と課して、学校全体の問題として取り扱う雰囲気ではない)。

解決方法
・教師を増やす。
・問題解決の専門教員を各学校に一人以上配置する。
・ある学級の問題は学校全体の問題として話し合える土壌を作る。


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