ラーメン、それは空腹の際には果てしなく喉から腹から手が伸びでて苦しくなるほど、欲求度の高いタベモノ。すきっ腹に染みいる麺とスープは幸せの絶頂です。

 

最初のひとくち、ああなんて最高なんだろうと五臓六腑が歓喜をあげます。はあ、ことばを出すのも惜しいほどに口を開けば麺を運びます。

 

ほんとは「お待たせいたしました~」と運ばれ目の前に置かれたそのときから、はしを割って(割りばしのイメージ)、さあいただきます!としたいのに、舌が脳が一刻もはやく目の前のソイツを摂取しろ!と叫んでいるのに、「まずは写真をば」とスマホをシャッターオン。ああ、この数秒の時間がもったいない、はやく食べたい、だけど写真が・・・!と、シャッターを切るという行為に自分で苦笑しながら、なるべくはやくぱぱっと撮っちゃって、あとはスマホをあっちへ追いやってようやくさあいただきます!もう待ちきれない!この時ばかりはなにもかも頭から離れて、手にもっているはしとレンゲに集中させ、いざ!

 

 

スープを啜って胃袋にじわあ~っと広がる汁を感じながら、すする麺、麺、麺。

くう、思わず目を閉じてしまう…恍惚…

 

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昨日食べたラーメン。

 

 

 

 

半分くらいすすんですこし我に返る瞬間ができて、ようやく落ち着きをとりもどしたところで、ゴマをさらさらっとトッピングしたり、にんにくをちょこんとのせたりする余裕がうまれる。チャーシューをひとくち食べたり、レンゲにスープとのりを乗せて飲んだり。だいじょうぶ、きみらトッピングのことも忘れていないよ。

 

 

私は載せてあるものをまんべんなく食べるタイプで、のりもほうれん草もたまごもチャーシューも、ほとんど完食。スープと絡め、麺と絡め、くちのなかで喜びに浸る。

 

 

辛めにしたりにんにくをいれたりという自己流・味の変化は、ひとまずベースの味を堪能してから。このラーメンを食べた日は夕方からバイトだったので泣く泣くにんにくを諦め、ゴマだけ振りかけて食べました。

 

 

たまごは半熟。大きくて三口くらいでぺろり。フィニッシュに食べたから、お腹にはいったとたんどっと満腹感が。濃厚なスープを飲みながら。

 

 

ところで、私は食べるのが遅い。咀嚼がおそいとでもいうのでしょうか、とにかくゆっくりで、別に意識してるわけではないし、なにかしながら、たとえばスマホ見ながら食べているわけでもない、たんたんと食べていながら自分のペースでしょうか、食べるのがまあ平均より遅いのです

 

ふつうのタベモノだったらそんなに支障はないのでしょうが、いかんせんお相手はラーメン、麺ですぞ麺、ほぼ時間との勝負なのであるこのタベモノ、咀嚼が遅い私にとってなんとも悪戦苦闘するものです

 

 

だから麺のかたさが選べるお店だと必ずといっていいほど「かためで!」と店員さんに言い切るのですが、しかし気づけば半分ちょいいくと伸びはじめてる…

私が半分までいっていると周りはもう終盤にさしかかっている、という状況。

 

なんでだろう、みんな噛んでないのかな、そういえば「ラーメンは食べるものじゃない、飲むものだ」なんていうセリフを幾度となく聞いたことがある。いやしかし。

 

 

私にとってのラーメンは飲むものではない。食べるもの。堪能するもの。スープも麺も、じっくりと口の中いっぱい使って感じるもの。だけどそんなことしてたら麺は伸びてゆく。うう、待って、待ってよ、もうちょっとゆっくりさせてよ、と思うのは、もう食べ終わった相手に対してだけじゃない、あと三分の一残っているラーメンに対してもです。美味しいのに、好きなのに、食べ方がたぶんラーメンの理にかなってない。早く食べなきゃいけない、と、終盤はひたすら麺をかきこみます。スープはもうほぼ底をついている。そうか、食べるのが遅いのもあるけど、スープ飲んでるんじゃん私!そらより一層遅いわ!と、友達が一足早く完食し、スープだけが残った器をもてあそんでいるのを、自分の器にまだ残っている麺とたまごを見ながら分かりました。スープより麺を食べろってハナシですよね、ラーメンなんだもん。でもスープ飲んじゃうんだもん、美味しいんだもん、と心の声が言っています。

 

ラーメンを上手く食べられる(=早く食べられる)日がくることはないだろうなあ、と開き直ります。美味しかった!