物まねび
「物まねびがお好きであるそうな」
駿河では学ぶを真似ぶという。手本を見てそのとおりまねるのである。
「はい。好きでございます」
「それはまこと、よいお性質だ。知恵というのは、おことがその千字文をまねているように、
よきものをまねるということだ」
・・・
―――真似るのだ。
という。独創や創意、頓知などを世間の者は知恵というが、そういう知恵は刃物のように危険で、
やがてはわが身の慢心になり、わが身をほろぼす害物になってしまう。
いや、わが身の勝手知恵というものはいかに古今に絶したいくさ上手であろうと、
やりかたが二通りか三通りしかなく、それが癖になって決まりものになってくる。
いつのいくさのときもおなじやり口になってしまい、それを敵がのみこんでしまえば、
敵のほうが逆手にとって出てくる。結局は三勝して最後に一敗大きくやぶれて身をほろぼすもとになる。
・・・
「物まねびの心得ある者は、古今東西のよき例をまねるゆえ、一つの癖におちいることがない。
それにはなにがよいかという、よいものを選ぶ心をつねに用意しておかねばならず、
そういう心におのれの心を持しているためには、おのれの才に執着があってはならぬ。
おのれの才がたかが知れたものと観じきってしまえば、無限に外の知恵というものが入ってくるものだ。
そのうちの最良のものを選ぶだけのしごとですむのだ」
・・・
雪斎の説では、天才とは一生で大いくさを三度もすればそれで十分なもので、
百戦百勝というようなことはせぬものだということになる。
更に雪斎の説は、天才でない者はおのれの知を張りださず、人のよきものを真似び、
それによって生涯粗漏のなきことのみを考えてゆくべきだということになるらしい。
家康は子供ごころながら、これが存外天道かもしれぬとおもったり、
半面、ばかにされたようにおもった。
覇王の家 司馬遼太郎
駿河では学ぶを真似ぶという。手本を見てそのとおりまねるのである。
「はい。好きでございます」
「それはまこと、よいお性質だ。知恵というのは、おことがその千字文をまねているように、
よきものをまねるということだ」
・・・
―――真似るのだ。
という。独創や創意、頓知などを世間の者は知恵というが、そういう知恵は刃物のように危険で、
やがてはわが身の慢心になり、わが身をほろぼす害物になってしまう。
いや、わが身の勝手知恵というものはいかに古今に絶したいくさ上手であろうと、
やりかたが二通りか三通りしかなく、それが癖になって決まりものになってくる。
いつのいくさのときもおなじやり口になってしまい、それを敵がのみこんでしまえば、
敵のほうが逆手にとって出てくる。結局は三勝して最後に一敗大きくやぶれて身をほろぼすもとになる。
・・・
「物まねびの心得ある者は、古今東西のよき例をまねるゆえ、一つの癖におちいることがない。
それにはなにがよいかという、よいものを選ぶ心をつねに用意しておかねばならず、
そういう心におのれの心を持しているためには、おのれの才に執着があってはならぬ。
おのれの才がたかが知れたものと観じきってしまえば、無限に外の知恵というものが入ってくるものだ。
そのうちの最良のものを選ぶだけのしごとですむのだ」
・・・
雪斎の説では、天才とは一生で大いくさを三度もすればそれで十分なもので、
百戦百勝というようなことはせぬものだということになる。
更に雪斎の説は、天才でない者はおのれの知を張りださず、人のよきものを真似び、
それによって生涯粗漏のなきことのみを考えてゆくべきだということになるらしい。
家康は子供ごころながら、これが存外天道かもしれぬとおもったり、
半面、ばかにされたようにおもった。
覇王の家 司馬遼太郎