第一段(1/2)徒然草/兼好法師 | MOKUAN(もくあん)

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仏教ファンから縁あって出家した0.1人前の隠者系ぼんくら僧侶。
ポップカルチャーへの欲望や執着が消えない困ったさんのパンケーキ。

(超訳)

いや、もう、この世に生まれたからには、

かなえたい願いって山ほどあるんだろうな。

 

天皇については恐れ多い。

皇族の端の端まで、神の血族なんだから尊い。

 

第一級の大臣らも言うまでもなくもちろんのこと。

官僚、貴族でも「舎人(今でいう宮内庁高官、警護役員など)」

などの職を賜る身分の人も立派なもんだ。

 

その子、孫までは、どっかに落ちぶれたとしても、

なお上品さが残ってたりするだろう。

 

それより下の階級(えらそげな官僚?)の人は、

自分らの階級に応じた職につけて、かつ時の運にあい、

それだけで、したり顔で「オレってスゲー」とか思ってるんだから、

アホみたいよね。

 

出家者ほど羨ましくないものはないよ。

「ひとには木クズみたいに思われてるよ」って

清少納言が書いたけど、マジでそのとおり。

 

(世俗の官僚と同じように)権力争いやらイザコザしても、

ぼんさんとしては到底、素晴らしいとは言えないよね。

 

僧賀聖(えらいお坊さんの名前)が言ったとかいうような、

世間的な名誉功名に拘り「欲」「迷」に仏心を苦しめ、

仏のみ教えに違反しているように思う。

 

そうなると、いっそ振り切った日々を送る世捨て人が、

なかなか理想的な道じゃないのか?と思うわけだ。

 

 

 

 

(原文)

いでや、この世に生れては、願はしかるべきことこそ多かめれ。


帝の御位はいともかしこし。竹の園生の末葉まで、人間の種ならぬぞやんごとなき。

一の人の御有様はさらなり、ただ人も、舎人などたまはる際は、ゆゆしと見ゆ。

その子、孫までは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下つ方は、ほどにつけつつ、時に逢ひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いと口惜し。

 法師ばかり羨しからぬものはあらじ。

「人には木の端のやうに思はるるよ」と清少納言が書けるも、

げにさることぞかし。

 

勢猛に、ののしりたるにつけて、いみじとは見えず。

 

増賀聖のいひけんやうに、名聞くるしく、佛の御教に違ふらむとぞ覚ゆる。

 

ひたふるの世すて人は、なかなかあらまほしき方もありなん。

 

 

 

(解説)

そもそもが官僚世界で生きていたので、

貴族サロンとの交わりが多かった兼好法師。

 

有名な序文の次から始まる第一段が、ここです。

 

まず、帝は尊い、そしてその枝葉も同じく尊い。

その周りの職も立派。

ただ、それ以外の身分制度の中で官職についてるヤツら…

ことにそれで、ふんぞり返ってるアイツら、マジクソ。

 

という、愚痴から始まります。

 

さらに、その世界から飛び出したくて出家したのに、

いざ出家してもボンさんワールドも結果一緒。

 

権力争い、意見の相違、既得権益の保守…

なんだよ!一緒やないか!仏の教えはどこ行った!

 

という怒りが「違ふらむとぞ覚ゆる」に表現されいると思います。

 

他の段でも、だいたい「くちおし」という、

まあ、今でいう「遺憾の意」くらいで収まっているところを、

ここでは「ちがうんとちゃうんか」と言っているのです。

 

ちなみに、この解釈は自分の意見がかなり憑依してあるので、

間違ってる可能性が大です。可能性大ですが、私が兼好法師に何度も入れ込んじゃった理由がここにあるので、敢えて、この解釈を押したいと思います。