上と下。
白と黒。
俗と聖。
正と誤。
幸と不幸。
ニンゲンは物事を見る時に、だいたい「差」で判断しがちです。
シェフの気まぐれサラダを頼んだとします。
大概の人はサラダが来るなり、まず全体を眺めるか、匂いを嗅ぐと思います。
そして、どんな葉物が使われているのか?乗っかっているのはシーフードか?ベーコンか?このソースは何だ?ドレッシングは何味だ?と、色々観察したくなると思います。
これは、カンタンに言うと
「美味そうか、マズそうか」
を考えているという事ですよね。
これはAという対象の座標を、ある2点から求めようとしてる訳です。
あなたの年収が360万円だとして、これがビンボーか金持ちなのか。
本来はライフスタイルや気分で揺れ動いていいハズのものなのに、テレビや新聞で
「日本の平均年収は420万円です」なんて見てしまうと
私はビンボーだ! と思ってしまうし、
「日本の年収の中央値は350万円です」と見れば
私くらいの年収の人が日本で1番多いんだから、一般的なんだな、と思うでしょう。
生活保護や非正規雇用のニュースを見れば、自分の年収でもお金ある方なんだな…と思えてしまうこともあると思います。
現実としては「360万」という金額しか明確でないのに。しかし、この年収の評価が気になってしまう。人は「差」によって物事の価値や実態を推し量ろうとしてしまうのです。
コレが、仏道において、
すごく ジャマ なのです。
Aという座標は、Aという点でしかない。
この点Aの位置をxとyを用いて証明しようとなんかするな!
全体をパッと見て、
「あ、点Aはここですね」
と認知せよ!
というのが、禅の根幹的なものの見方です。
両忘とは、まさにそういう事です。
言い争い、イザコザ、どつき合い、戦争。
これらはまさに “両忘” 出来ないからこそ発生する、個と個の衝突です。
正と悪を忘れ、上も下もなく、右も左もなく、ただただポカンとしてみなさい!
コレが、両忘でしょうかね。