「死」は「生」の延長線にあるもので、誰にでも平等にやってくる。

「人が存在しているうちは死はそこにはない。死がそこにある時には人は存在していない」とある哲学者が言ったそうです。



F師は「理屈ではそう言えるかもしれないが、だからといってこれで死の恐怖が無くなるとはおもえない」と言われています。


さらに続けて「いずれ死ぬことは分かっていても、それがいつかわからないから不安に感じ、それがどんな状態で訪れるかわからないから恐怖心になる。臨終の時には阿弥陀様がお迎えに来てくださるから、何も怖がることはない。安心して浄土に旅立てる。亡くなった方の顔はみんな安らかで、静かに眠っているようではないですか。それが証しです。」



私は、死とは無になることだと思っています。

あの世があるとは思っていません。120歳まで生きると決めて、臨終の姿までイメージしていますが、いつ死んでも「残念で仕方ない」と思って死ぬと思っています。


どの時点でも「やりたいことをいっぱい抱えている」ことを想像しているからです。それが死によって挫折してしまいます。だから「残念!!」と思って死ぬイメージです。




今のところ、死ぬ予定が無いので、今のうちにこんなことを書いておく気持ちになっています。

死ぬ直前になったら何を思うかわかりません。


死ぬのは明日かもしれないし、120歳になってからかもしれませんが、どの時点でも「残念!!もっと生きたかった!」と思えるくらいやりたいことをいっぱい持っていたいというのが今の心境です。


明日から半田で3回にわたって「幸せなセカンドライフ講座」をやります。「いきがい」を見つけてもらいたいと思っています。