思い出したことがあるので書いてみる。
どれだけ太陽の光が降り注いでも、
日の当たらない場所がある。
故意なのか過失なのか。
難解なパズルのように…。
それは立ち塞がる。
私は若かりし頃、
度々、親友と呼べるような友達を失っている。
それは度々訪れている。
殆どの場合、原因は自分にあった。それは理解している。
人の心を踏みにじる、唯我独尊的な発言は、
相手の心を少しずつ抉っていたのだろう。
そして、決定的な一言で崩壊する。
だが、答えは明白だ。
修正のしようがある。
だが、稀に当てはまらない場合がある。
その時が困る。何故かが解らないからだ。
どれだけ考えても、正解が見えてこない。
考えども考えども見えてこない。
だから、修正のしようがない。
せめて、その後に相手と話し合えればいいのだが、
それは、あまりにも突然やってくる。
何の前触れもなく。突然に。
そして完全に縁が切れる。
心理学を勉強し始めたのが19歳の頃。
“友達に騙されるのが嫌”で、勉強をし始めた。
そのおかげで、今は人の心の機微には敏感だ。
それが正解かどうかは、いくつかの問答をすれば解る。
そして、それは正解でも不正解でも、別段困らない。
だが、相手がいない問題は、どうしようもない。
どれだけ考えようとも、推測の域を出ないからだ。
そして、これは困る。正解がないからだ。
その人の本心は、その人にしか解らない。
笑顔の裏には、嫌悪感が隠されているかもしれない。
焦燥感が隠されているかもしれない。
嫉妬心が隠されているかもしれない。
本心は他人には見えない。
前触れもなくやってくると先述したが、
本当はシグナルが出ていたかもしれない。
それは、目を凝らさなければ見えなかったかもしれない。
耳を澄まさなければ聞こえなかったかもしれない。
だが、関係が崩壊する前に、察知したかった。
後味が悪すぎるじゃないか。
私は、人付き合いで大事なのは、相手を許す心だと思っている。
そして、話し合えば解決出来ないことなど殆どないとも思っている。
※但し、誰彼となく…ではない。友達が相手だった時の場合
確かに話し合うのは手間だ。私も面倒に感じる。
だが、それでは互いに成長しない。
だから避けては通りたくない。
しかし、結局のところは…。
それらの相手は親友ではなかったのかもしれない。
この答えが一番しっくりくるのが、また…悲しい(笑)