ぬるま湯 | 酒の友は我が友也

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酒好きで女好きとの評判な筆者が、意外と適当じゃないことを綴るブログ。
きっと何か発見がある。たぶん、本を買うより安上がり。
合い言葉は、『愛だろ?愛』

しかし…。
昨日は飲んだな~。相当飲んだ汗
一次会の羅漢から始まり…あとはお察し得意げ
帰宅したのは、4時前だったような…ガーン

反省。反省。

こんな遊んでる場合じゃないのになガーン
連れは大満足していたけども得意げ

カレーが食いたい
カレー
唐突だが、カレーが食いたいカレー
飲み過ぎた翌日は、辛いものかジャンクフードが食べたくなるにひひ
なんなんだろうな~はてなマーク

まあ、それはいいとして。
今日は、以前から思っていたことを書こうと思う。
と言っても、そんな大した話ではないが。

ネットが普及して随分経つ。
その変遷は割愛するとして、今はSNSが全盛期から下り坂に入ったと思われる。
それでもネット自体は必需品であることには変わらない。
それだけ便利であり、生活に食い込んでいるからだ。

さて、それとは直接関係ないが、
アメブロ然り、大手の掲示板然り、ネット弁慶なる人が目立つ。
所謂、掲示板などで気炎を上げている人達だ。

何故、あそこまで強気になれるのか。
いや、強気というと聞こえがいいが、相手をこき下ろしたりバカにしたり…。
自分を何様だと思っているのだろう。
全知全能の神か。

おそらく、その多くの人は、
社会的にはうだつが上がらない部類なのだろうと容易に想像が付く。
その鬱憤を晴らすが如くの行為と思えば納得は出来る。
納得するだけで理解はしないが。

そして、もしそれが的を射てるなら、
現在の不遇は会社や上司、もっと大きく捉えれば社会が悪いと考えているのだろう。
確かに、現在の社会は決してよい社会ではない。それは同意する。
だが、外的要因にだけ結びつけるのは早計に思える。
不遇は自分の至らなさのせいでもあるからだ。

他人を見下したところで現状は変わらない。
一時的にストレスは発散出来るかもしれないが、
根本的な解決には至らない。

他人との比較など意味を成さない。
相対的は絶対的ではないのだ。
そこを理解するべきだろう。

逃げても何の解決にもならない。何も得ることもない。
もし得られるとすれば、それは虚しさだけなのではないか。
いや、まだ虚しさを感じられるなら、望みはあるか。

ぬるま湯に入っていると、
人はそれがお湯なのか水なのか判らなくなる。
体中がふやけても、それに気付けなくなる。
そうはなりたくないものだ。
常々そう思っている。