「その話は本当か」
これは私が常日頃意識していることである。
そう、相手が友人であろうが、赤の他人であろうが、その情報の信憑性をまず疑う。
勿論、親しい間柄でない限り、その場では信じている“振り”をする。
その後、振りをしようがしまいが、必ず様々な形で情報を収集する。
本当かどうかを。自らの目と耳で確かめる。
「信じることは大事だ」
という声が聞こえてきそうだが、
相手を信用することと、事実を確かめることは似て非なる事だ。
私はそう考えている。
信用していても“間違っている”こともあるだろう。
本来の事実とは違う可能性もあるだろう。
そう考えると、何もかも鵜呑みにするのが果たしていいのか。
特にそれが重要な意味を持つ場合、自身にとって影響が大きい場合、
鵜呑みにするのは危険と言えよう。
これはメディアに対しても言える。
今、全面的にメディアを信用している人は少ないかもしれないが、
メディアは必ずしも真実を伝えているとは限らない。
「本当なのか」
そういった思いが少しでも芽生えたなら、自分自身で調べ裏付けを取る。
一番手っ取り早い方法はインターネットの活用だが、
周辺の友人や知人に意見を聞いてみるのもいいだろう。
いずれにしても、取捨選択の難しさはあるものの、
全てがひとつの答えに繋がっているわけではないことは判るはずだ。
「他者を介して得られた情報の真偽は自らの目と耳で確かめる」
裏を返せば、それが自らの成長を促すことにも繋がる。
私はそう思うのである。