福山雅治の声真似をしたら、
そっくりすぎると言われた誠志朗です。どうも
勿論、皆さんにはお聞かせ出来ませんがね
唐突ですが、会話というのは難しい。
会話の達人と言われる筆者ですら、未だにそう感じます。
読者の声「いや、それ以前にいつから達人なんだよ」
自らの思いや考えを、言葉として表現することは容易い。
解りやすく表現することも難しくはない。
しかし…。
「そういう意味で言ってんじゃないんだけどな」
「いや、この場だけの話じゃなくて、一般的な話として…」
こういう展開が稀にありませんか
先ほど書いた、言葉の裏以前の問題である
さてはて、こういった場合、これは相手の理解力が乏しいのか
自らの表現力が乏しいのか
どちらにも問題がある。
これが無難な答えでしょう。
実際、言葉足らずな場合もあるし。
逆に、言葉が多すぎて伝わらない場合もある。
的確な言葉を選んでも、
的確な間を保っても伝わらない場合もある。
要するに、それ程までに会話は難しいと言える。
理解してもらおうと思えば尚更である。
裏を返せば、理解してもらおうと思うから難しいと言える。
そう考えると、別に会話自体が難しいわけではないのでは
そうともとれる
だが、会話はよくキャッチボールと言われるように、
一方的に喋ることは会話とは言わない。
そう、理解してもらわないと、相手は投げ返す場所を間違えたり、
投げる球種を間違えたりする。
それは、キャッチボールが続かないことを意味する。
つまり、そういうことなのだ。
まずは傾聴。
これはよく言われることだが、
あくまでも理解する側の立場としての話。
理解してもらうには別の視点が必要だ。
その視点とは
長々と書いてきたが、結局のところは解りやすい言葉で話す。
自分の知識をひけらかすのではなく、相手が理解しやすい言葉を選ぶ。
そして、相手の理解に誤りがあると感じた際には、軌道修正をその都度行う。
基本的なことだが、それが一番だと言える。
多少の手間は掛かるが、
その手間を惜しんでいては、伝わるものも伝わらない。
それに、相手はロボットでも壁でもない。
意思を持った人間ということを忘れてはならない。
それが意識出来れば、会話の達人に一歩近づけるだろう。
あ、勿論、会話の達人てのは、
筆者のことじゃなく、一般的な形容としての話ね
それにしても…。
海老蔵よ…やっちまったな~