学生時代の話。
と言っても、義務教育あたりの話。
一般的な学生とは明らかに違う、
不良というカテゴリーが存在するのは皆さんもご存じでしょう。
彼らの世界は「力こそ正義」言わば北斗の拳の世界です。
※これ以降、子供という表現は、主に不良を指しています。
この「力こそ正義」と言う思想。
大人になるにつれ、力とは単純な腕力だけではなく、
財力や知力等、様々な力の存在に気付きますが、
義務教育の頃は基本的に腕力の強さが力です。
一番単純に比較出来るし、腕力のある者は有無を言わせず、
腕力的弱者を支配出来る点が子供にとっては大きな魅力なのでしょう。
何故、腕力に頼るのか?
理由は至極単純です。勉強というステージでは勝てないからです。
そして、他者を思い通りに動かすには腕力が手っ取り早いからです。
そうです。
逆に考えれば、言葉によって他者を動かすのは非常に難しいと言えます。
これは、大人になるにつれ、よりハッキリと認識します。
「言っても解らんし」「言うだけ無駄」「面倒」
労力を要する割には、割に合わない。
諦めの境地へ人は達します。
「いや、そんなことはない。話せば理解し合える」
確かに、一般的な事柄については、話し合いで解決出来ることが殆どです。
しかし、それは真の解決なのか?と言うと疑問符が付きます。
正直言って、子供の頃の「力こそ正義」が少々形を変えただけで、
妥協の上に成り立っている解決だと私は思います。
ですが、子供は違います。
何としてでも白黒付けたがります。
「俺が正しい」「いいや、俺が正しい」
果てに起こる衝突。よくある光景です。
しかし、考え方や価値観の違う者同士、
ましてや子供となると簡単に白黒を付けることは出来ません。
そこで、子供は単純な暴力を振るいます。相手を従わせる為に。
これは大人になってからは決して誉められた行為ではなく、
むしろ蔑まれる行為ですが、子供にとっては、
もっとも単純で簡単な方法なのです。
ですが、それによって一時的に白黒付けられたとしても、
これもまた真の解決には至りません。
力でねじ伏せられた者は、一部の例外を除いて、
表面上は従う振りをしていても、心の中では別の方向を向いています。
そうです。
これは、腕力だけに限った話ではなく、
力で他者を従わせても本質的な部分は、そうそう変わらないということです。
ではどうすればいいのか?
話し合いで解決出来ず、力を振るっても真の解決には至らない。
人は解り合うことが出来ないのか?
結論から言うと、難しいです。
やはり、全ての人が理解し合うのは難しいです。
そして、極論ですが理解し合う必要もないと私は思います。
だからといって諦めていいのか?
と言うと、それは違います。
自分の考えは、相手に伝えるべきだし。主張もすべきです。
その上で議論すべきだし、その結果、より良い道が見つかることもあると思います。
波風を立てたくないから、言わない方が楽。自分が我慢すればいい。
ある意味大人な意見で立派だとは思いますが、
それでは解決出来る問題も解決出来ません。
しかし、これはあくまで個人レベルの話。
これを企業や国家単位で考えると、主張したところで届かないのがオチだし、
届いたところで全員が全員の意見を取り入れることも、また不可能なのは明白です。
よって、大きな集合体の場合、時には力をもって動かす必要もあると私は思います。
特に、混迷を極める現代社会。舵を失った船のような日本という国。
その船の舵を取るには、やはり大きな力が必要だと思います。
多少強引でも、
良い方向へ変える為には手段を選ばないくらいの気概を持った人が必要だと思います。
今の日本には、良い意味での不良の出現が望まれているのではないでしょうか?
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