結局、朝、元の病院でバタつき、
いや、だって、行ったら支払いをして、すぐに移動、と思ってたら、
今から食事だとか、
お薬の用意ができてないとか、
着替えをします、とか、
朝で忙しいとはいえ、
出発時間を連絡するようにとまで指定しておきながら、
準備できてないにもほどがあるから。
電話の時は
「ベッド周りを片付けて、支払だけお願いできたら後は大丈夫です」
って言ってたんだよ。
最後に医師が「ちょっと術後の説明を・・・」って今か!!!
いや、ありがたいんですけど、ありがたいんですよ;;;
皆さん一生懸命やってくださるし、
ここで初めて父の病状を詳しく教えてもらったし、
わがままな父を助けて下さって、
受け入れてもらえて、本当にありがたく思っています。
そして、介護タクシーで移動。
なかなか快適です。
おとたまが寝ていきたいというので、リクライニングできる車いすを頼んだ。
出発してすぐに、「痛い痛い」と言いだす。
私も疲れていたので、ウトウトとしていたら、
「痛い。この悪い左手が、お父さんの首に爪を食いこませてくる・・・」
と、厨二病的語りを始めた。
いや、本人は真剣みたいなんだけど。
さらに放っておいたら、
「ゆきちゃん、助けて!痛いよ!助けて」
助けられないよ。私助け方知らないもん。病院付いたら先生にお願いしようね。
「うん・・・」
そしてまた「痛い、いたたたたた・・・。ゆきちゃん、痛いよ」
と言いだしたので、
「痛いと言えるうちは大丈夫。本当に痛い時は声出ないから」
と言ったら、「う・・・」って感じになったけど、
黙っていてはアピールできないことを思い出したのか、再び、
「痛い!痛い!いたたた。痛い」
「頑張れ!」
「もう我慢できない。まだ着かないの?」
「もう少しだ。頑張ってくれ」
「うん・・・あ、ゆきちゃん、タオル取って、タオル。あれ巻いとくといいんだ」
「今、ここにないから無理」
運転手さん「クッションとかならありますよ。出しますか?」
「出してもらう?」
「いや、ん・・・」
そんなコント的会話を繰り広げながら、予定より10分遅れて到着。
着くと安心したのか、
運転手さんに「ありがとうね」とか声をかけてる。
普段から、動きがスローモーで、私や母を待たせてはイライラさせていた父だが、
意外と「いらち(←イライラしやすい人)」であることが、今回判明しました。
着くとすぐに、担当の医師や看護師が紹介され、
医師から父に矢継ぎ早の質問(病気になった経緯とか)、
そしてすぐに検査に入った。
私はひたすら同意書類にサイン、
持ってきた服やタオルにサイン(名前を書くことになっている)、
足りない物を買いに走る、
そしてまたサイン、
入院手続きでもサイン、
最後は何を書いているのかわからなくなってくる、
あの、同じ字を何度も書いていると字なのかなんなのかわからなくなるアレになりました。
後、リハビリ後に帰る予定の家の間取り図を書くというのもありました。
外から玄関までの段差が何cmとか、
トイレの幅、高さ、お風呂の幅、高さ、広さ、etc・・・。
一応、大阪の家を想定してみるも、想像で書けるものではない細かさです。
その家で暮らせることを目標にリハビリ計画を作る、という非常に具体的なものでした。
病室に戻ると、父は昼食を終え、
ガーガーいびきをかいて寝ていました。
この年になって、
わけもわからず、転院転院で、
外の風景を見ることもなく、
見知らぬ土地から見知らぬ土地へ。
知らない人ばかりの中で、
疲れるよな。うん。
そして次の現実を突きつけられる。
今の法律では、通帳があっても、本人以外はお金をおろせないので、
今後のことも考えて、第三者機関に通帳を扱う代理を頼むか、
成年後見人制度を申請するかしないと、後が大変ですよ。
というのと、
そろそろ介護保険の申請をしないと、いけない。
・・・一度大阪行かないとだめかなあ。
帰って、ダウンしていたら、おとたまの妹から電話が来た。
前の病院より遠くなったのに、お見舞いに来てくれるという。
差し入れ何がいい?と聞かれても思いつかないでいると、
「パジャマとかどう?」
と聞いてきてくれた。
それはありがたい!!!
今回で病院3件目だけれど、
毎回いるもの、いらないものが違うので、
例えば今回は、オムツ市販のものだめなので、オムツが大量に余ってしまったり、
部屋着が必要と言われ、ユニクロに走ったり、大変なのだ。
家が近ければ、何ら問題のないことも多いのだろうけど・・・。
やはり、一度大阪に行かねばならぬか。
ちなみに、通帳管理の申し込みは、社会福祉協議会で行っているらしいです。