エトセトルクス

エトセトルクス

奇跡のカイシャオープンまでの軌跡!
あるいはその周辺と日々のなうを
ブログります!

Amebaでブログを始めよう!
ご無沙汰です!

日々色んな人に会ってます。
かなり忙しくてなかなか更新できんですなー。
独立前夜も書きたいところですけども、いかんともしがたい。

朝10時から夜の23時くらいまでウマシャバな日々。
ずっと雪かきしてるような生活です。

いつかこれは報われなければならない!!

例えばナイトな世界であったり、芸能な世界であったり。。。


そういうなんの側で仕事しています。
偉大だけれどフレンドリーな感じのする海賊船の船長が死んだ。

Macの思い出はたくさんあるけれど、一言では言えないなぁ。
このコンピュータがあったからこそ、
ボクはこうしていまデザイナーをやってるわけで、
Macがなかったらボクの今はないと言える。

お悔やみのメールを送りました。アーメン。
今後の人生を決定付ける出来事に遭遇していますZ!


吉と出るか凶と出るか。。。。
これは自分次第だと思うんだけれど、
とにかく今はそこに見を委ねてみている状態。


ちょっとまだ書けないけれど、落ち着いたら書きます。


はっきりゆって苦手な分野かもしれない。
けど、乗り越える事ができたのなら、
おそらく随分とボクは成長できるんじゃないかなぁ。
リアルショップを持つこと。それが100Pの夢だった。
だけどそんな資金は当然なく、
もやもやしつつもネットで売る毎日だった。
銀行の融資の時も
「ネットオンリーでほんとに売れるのか?」
っていうのが争点になったわけだけれど、
100Pは売れると押し通した。


しかしまったく売れないんだ!(2回目)


厳密には月に数枚は売れていた。
でもそれじゃさっぱりブランドは回らない。


楽天に出店する費用もなかったので、
100Pは安価なカラーミーショップっていう
ECサイトを利用していた。
しかしどうにもここだけじゃ限界がある!


そんな中、
富山のSUPER BIG MUFFっていう
ショップが100PのTシャツを置いてくれることになった。


「ねぇ、おもしろいんで、直接納品しに行かない?」
「富山に!?」
「そう、富山に。クレイジーだろ?」


確かにクレイジーだ!気に入った!


ボクは彼らに同行して富山に行くことにした。
メンバーは4人。100Pの2人とボク、
そしてミオ姐さんも同行することになった。
ミオ姐さんは普段ゴールデン街のバーで働いていて、
ボクと同じく100Pにはデザイナーとして参加していた。


ところで100Pには常駐のデザイナーがいない。
みんな本業のかたわらやっていた。
これが後々ネックになるんだ。


夜中に車で出発して、高速に乗って、
朝日を見て、美味しいもの食べて・・・
すごく楽しい旅行だった!!


いや!営業だった。


前々から憧れていたけれど、
こういう半分遊んでるような仕事っていいなぁ
と強く思ったんだ。


2年後、逗子に向かう車の中で
ボクはホリ君とこんな話をした。


「ホリ君、あのマンション、見てよ。
 高級だね。どういう人が住んでるんだろ?」

「まぁ金持ちだよね~」

「例えばさ、一流大学を卒業して、ビッグな企業に就職したり、
 医者とか弁護士とか、所謂世間からお金持ちなイメージの
 職業の人がああいうとこには住めるわけでしょう?」

「そうなるよね。あるいは株やってる人とか
 不動産持ってるとかさ」

「今からそれやろうとしても、必死で勉強すれば大学は
 入れる可能性はゼロではないかもだけれど、
 年齢も年齢で、そっから就職となると
 まぁ難しいよね。不可能じゃないけど、しんどい(笑)」

「しんどいねぇ~それは(笑)」

「でさ、我々がああいうマンションに住める
 可能性があるとしたら、
 もう自分らで起業するしかないんだよね」


ヒット君は顔が広く、
メジャーなロックバンドのメンバーとも
親しかったので、野外フェスで着てもらったり、
ブログでさりげなく着てもらったりという
アプローチはしていた。


ある時ミクシィのコミュで


「メンバーが着てたTシャツはどこのブランドですか?」
「あれはたぶん、100Pとかいうブランドじゃないですかね?」


なんていうわざとらしい誘導をしたりもしたんだけれど、後日。


「その後アクセスはどうだった?」
「いや・・・全然変わりません」


そんな感じだった。


とにかく出せるとこには出していこう!
と日暮里のフリマにも参加した。
しかし土地柄、客層はおばちゃんなんかが多く、
たまに売れても「丈夫だから」とか
「サイズが合う」だのとかで、
デザイン以外のところで売れてしまった。


ま、売れないよりはいいよね、
なんて思っていると、


「君たち、こんなところで売ってちゃあダメだよ」


と、ひとりの男性が
声をかけてきた。


あーなんかめんどくさい人に
ひっかかっちゃったかな?


「あすこのビルでおもしろいことやるから遊びにおいで」


そう言って男性は
リッチなビルを指差した。


なんだ!?この人。酔っぱらいか?
ビルのテナントオーナーと知り合いだって言ってるぞ?


ボクらは男性がいなくなった後、
テナントオーナーを探して確認しに行ったら、
確かに知ってるし、おもしろいことを一緒にやる、
とのことだったので、
後日ボクらは遊びに行くことにした。


これがO師との出会いだった。
通ってるギター教室の10周年パーティーに行って来ました!

今はお休みしてるんだけれどね。だから通ってた、が正しい。
けど、必ず復活する!!

久々の友達、所謂、初期メンにも会えたし、楽しかった。

ところで、新しい生徒さんも増えたので、
顔と名前が一致しない、どころか!名前すら覚えられない!!
まーレッスン行ってないからしょうがないわけだけれど、
ライブだけでも参加してれば覚えるかもしれない。

10周年ライブはチェルシーホテルで行われたわけだけれど、
出ればよかったなぁと後悔!

あすこで歌いたかった。。。

でもまぁB'zバンドはなかなかスケジュール調整が難しいので、
仕方なかったといえば仕方なかった。

あと弾き語りねー。やりたい。

最近曲作ってはないけれど、少しだけストックがある。
簡単なコード進行とメロディだけで、作詞はまだだけれど、
集中してやれば2曲くらいは完成しそうな気はするが。。。

とりま、まず仕事を軌道にのせねばなるまいにゃ!
2009年になって環境が少し変わった。


100Pの2人は日暮里にオフィスを構え、
ウェブショップもオープンし、
銀行の融資も受けて本格的に仕事を始めていた。
オフィスは狭かったけれど、
自分たちの城を持つってのはいいもんだ。


「なんで日暮里なの?」


「2人の自宅からの中間距離だったのと、
 たまたまレンタルオフィスが空いてたんだよね」
「それに後でわかったことだけれど、
 日暮里は繊維の街らしい!」


「そういうの重要だよね(笑)」


100PのTシャツは街のプリント業者に
発注してるんではなく、
有名なアパレルブランドを数多くクライアントに持つ、
地方にある工場にお願いしていた。
そんな工場と直接取引できたのは
ヒット君のコネクションのおかげ。


最初はPrintstar(プリントスター)なんかの既存ボディに
印刷だけお願いしていたんだけれど、
そのうちパターンから起こしてボディもオリジナルで
作れるようになった。


信頼と実績のある工場に出し、ボディはオリジナル。
シリアルナンバー入りのタグもついて、
値段は3500円。簡単に真似出来るもんじゃない。


これが100Pの強みだった。


このクオリティで、高すぎず安すぎずの値段設定、
100枚限定というリミテッド感、
人とはちょっと違うものが着たい
っていうこだわりを持った
25~35歳くらいの男性をメインターゲットに
100Pは考えていた。


ネットショップオンリーだったので、
かなり融資は難航したみたいだけれど、
ホリ君のプレゼン能力でなんとか受けれることになった。
すばらしい!


しかしまったく売れないんだ!(笑)


たいがいの人はリアルショップで見たり
広告を見てからブランドを検索する。
ネットでいきなり「Tシャツ」と検索して
買う人はそうそういない。


予測はしていたんだけれど、
営業をどう仕掛けるかが今後の課題だった。


ボクはライブハウスで働いてる友達に
100PのTシャツを置いてもらえないだろうか?
と相談したんだけれど、
色々な条件が合わずに実現しなかった。


余談だけれど、ボクが打ち合わせでライブハウスに行くと
決まってアイドルのライブが行われていた。
その時「あの子、歌上手いねー」って友達と話してた子が、
当時まだユニットとして活動していた、畠山智妃ちゃんだった。


彼女がのちにSDN48のメンバーになるだなんて!
いったい誰がこの時、想像できたっていうんだい?


ボクがのちにAKBのシアターで
彼女とハイタッチすることになるだなんて、
いったい誰がこの時、想像できたっていうんだい?


「Pシリーズに固執しなくていいから、
 キャラクターを作って欲しいんだ」


ある日ホリ君に言われてボクはネコのキャラクターを考えた。
テンベェと名付けたそのキャラが、
のちに100Pの運命を左右することになるだなんて、
当然!この時は知る由もなかった。


人生のカギは「縁」だと思う。


相対性理論だかなんかと同じで、
素敵な人には重力があって空間を凹ませるんだ。
ピンと張ったビニルシートの真ん中に、
重たい鉄球を置いたように。
だからそばを通過しようとすると
凹んだ中心に吸い寄せられる。


ボクはこれを「縁深力」って名付けたんだ。
2008年の6月、友達から連絡があったんだ、話がしたいって。
それでボクは下北のカフェで彼と待ち合わせをした。


「実はTシャツブランドで独立しようと思ってて、
 それでデザインをお願いしたいんです!」


驚いた。


友達で「独立」してるやつなんていなかったし、
ボクもいつかは独立!と考えていたんで羨ましかった。


「なんだか楽しそうだね!」


渋谷にある有名なTシャツブランドの店長だったヒット君は、
会社を辞めて大学時代からの友達と2人で
ブランドを立ち上げたい、
それでデザインを3万でやってくれないか?
っていう相談だった。


「いや、3万はもらい過ぎでしょ。
 いきなりそんな高額じゃすぐに破綻すると思う。
 むしろ只でいいですよ」


実績のまったくない無名なボクにとっては、
商品になるってだけでありがたい話だったので
そう提案したんだけれど、
さすがに只というわけにはいかないってんで、


「じゃあ最初は半分の1万5000円でお願いします。
 稼げるようになったら3万円にしますね!」


ということになった。


数日後、
ヒット君と一緒にブランドを立ち上げる、ホリ君と会った。
彼は不動産関係の会社に勤めていて、
ボクより2つ年上の36歳だ。
年内に仕事を整理して年明けから本格的に
ヒット君とジョインするらしい。
ノリのいいおもしろい男で、ボクはすぐに打ち解けた。


ブランド名は100P(ヒャクピー)。


これはホリ君の好きな、


「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、
 教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」


という「米百俵の精神」から
インスパイアされたブランド名で、
そこに100=たくさん、P=HAPPYで、


「たくさんのハッピー」


という意味も込めていることを聞かされた。


コンセプトとしては
「P」をキーワードにしたデザインで、
100枚限定のシリアルナンバー入りTシャツを
展開したいということだった。
限定は悪くないなと思ったんだけれど
「P」しばりでどこまでアイデアが出るだろうか?


そもそも、


はたしてTシャツは夏以外でも売れるのか!?


ヒット君の経験上、Tシャツは秋冬でも売れている
とのことだったんだけれど、
何の後ろ盾もない新規ブランドが
そうそう上手くいくとは思えなかった。


当時ボクはデザイン会社に勤めていて、
本業がおろそかになってはヤバイので
趣味と仕事の中間にある「趣事(しゅごと)」って
感じで引き受けることにした。
なのであまり深くつっこまないことにしたんだ。


10月になってようやく最初のデザインが仕上がった。


ボクが提案したのはオクトパスTシャツ。
フロントはタコが鍵を持ってるデザインで
バックには英文で、


「鍵を開けて暗闇から飛び出してごらん。
 そしたら無限の道(可能性)を
 選べる贅沢を味わえるのさ!」


っていうメッセージを入れた。


OCTOPUSのどこが「P」なのか?って話だけれど、
「PUS」の部分を「PATH」に変更して
「(イラレの)パス」と「道」の
ダブルミーニングにしたんだ。

※PATH=小道


パスを駆使してデザインすることの無限の可能性。
それを道と表現したってわけ。


英文は翻訳サイトじゃ直訳になってしまうので、
ネイティブな意訳にする為、ボクはハーフ美女の友達、
大村真有美ちゃんにお願いした。


11月。


飯田橋のレストランを貸し切っての
オープニングパーティー。


8月から着手したオクトパスTシャツは11月に
入稿して無事に完成していた。
ボク以外のデザイナーはこの時点では4名。


とにかく始まったのだ。


そしてボクは34歳だった。





キャラクタービジネスに関しての
グルっぽがなかったので作ったデス!

こないだまでライセンサーと
ライセンシーの区別もつかなかったくらいで、
まだまだ情報が足りません!

こういうのってみんな情報公開してないのかもね。

キャラクタービジネス大国だというのに!
ノウハウだのなんだのがさっぱり隠密すぎる!!


てなわけで作ったんだZ!

まったく外出出来ない!!!


すごいね台風。結構久々じゃない?九州だとザラだけれど、
東京でこれくらいの雨風ってあんまし記憶にない気がする。
もしくは夜中で眠っていただけとか。


こういう日は仕事休みたいよね。


地震があった日、ボクはまだ会社員で、
当然仕事してた時間帯だったわけだけれど、
社内は色々とMacやら本棚やらコピー機やら、
動くと危険なやつらが多かったので、
怪我しないように外の広場に避難してたんだ。


当然近隣の会社員たちも非難してたよね。


ところがしばらくすると、ビルに戻って仕事してる人がいて、
ボクは驚いたんだ。おいおい、今仕事してる場合かい?って。
ネットが繋がらなかったから、どういう状況かはつかみきれて
なかったけれど、「これは生きるか死ぬかの大地震だぞ?」
ってボクは感じていたもんだから、
「さっさと家に帰った方がいい!」って思ってた。


確かに!救助する仕事をしている人や、交通機関の人やら、
あるいは報道の人やら、仕事を放り出せない職業の人たちは
いると思う。けどさ、あの日ビルに戻って仕事を再開した
人の中に、本当に「今日やらないとマズい!」
って仕事を抱えている人って・・・


そんなにいるのかな?


ボクはデザイナーだし締め切りに追われている仕事だ、
けど、仮に、あの日、仕事をやり残したまま家に帰って
避難し、その結果の納期に間に合わなかったとして、
それがどうだっていうんだ??
あんな状態の中でも納期を守れと??


それがプロ?


そうかもね。仕事のプロかもしれないし、
それは美しいかもしれない。


けどさ、人生のプロじゃあ、ない!


一刻も早く避難して、ほんとに落ち着いたら仕事を
再開すればいい。


例え納期が遅れたとしても、


「それはいいさ。そんなことより君は無事なのか?」


そんな風に思える環境作りをしないと
いけないんじゃないかなぁ。
はっきりいってあの状態で仕事してるのって異常だよ。
仕事に取り憑かれている。


そんなボクも、しばらくしたら会社に戻ってクライアントに
メール送ってた。取り憑かれているよね。やる必要はなかった。
けど、会社員という呪縛からは逃れられなかった。


これがニッポンのサラリーマンだぜ!


でもほんとこんな状態はヤバいと思う。仕事は大事だけれどさ。


でまぁ、ボクはカイシャを立ち上げようって立場になった。
だからこの状態を少しでも改善したい。
ああいう地震の時は仕事を中断して、避難する。
それで納期が遅れてしまうことをクライアントにも
理解してもらうように努力するよ。


完全には無理かもしれないけれどさ。
元気で生きてなきゃ仕事なんてできないんだし!


で、今日のこの台風。


運良くボクが今やってる仕事は自宅でネット環境が
あればできるので、仕事してるんだけれど、
もし事務所を借りてて、交通機関が心配な場合は帰ると思う。
もしくは仕事できる環境をそのまま持って帰る。


あるいは泊まる(笑)


そういうのも含めて、なるたけ迷惑かけないような
環境作りも必要だよね。


今日は平日だし、仕事している友達もたくさんいるんだけれど、
大丈夫かなぁ。早退を許可されてる会社員は
いったい何人いるんだ?







つーかこじはる強すぎ!!(笑)

見てはなかったんだけれど、今ニュースで知った。

あっちゃんは残念だったね。

しかしまぁ運も実力のうちってことだよね。
秋元康さんも言うように、運ってのは大事だよなぁ。

ボクは今年は運がいいんだ!川崎希社長にならって、
細木数子の六星占術サイトによるとね。

あと、アイドル好きとゆっても、曲ありきだね。

AKB48に興味を持ったのはCMで流れた、
「大声ダイヤモンド」がもっそ良かったから。
この曲がなかったらボクはいまだに聴いてないかもしれない。

ももクロを好きなのも「行くぜっ!怪盗少女」が良すぎたから。

分け隔てなく、曲さえ良ければアイドルだろーが
演歌だろーがボクは聴くZーーっ!