(昨夏の旅行記の続き)旅行14日目。この日は夕方から観劇がダブルヘッダーであるので、午前中で観光できるザルツブルグ近郊のまち、ハラインに行きました。
(写真)ザルツブルクから列車で20分でハライン駅に到着。駅前ではさっそくバート・デュルンベルク岩塩坑の案内(オレンジ色のサイン)が目に付きます。
(写真)バスで10分くらいでバート・デュルンベルク岩塩坑に到着。岩塩を採掘する壁画が雰囲気ありました。
岩塩坑の見学は、作業服を着た上で、1時間半くらいのガイドツアーにより案内していただきました。中の写真は撮りませんでしたが、特に印象に残ったのは以下の通りです。
◯ケルトの時代に塩が発掘されていたが、何故か中断となった。その後、13世紀にザルツブルクの大司教が塩の発掘を再開した。
◯最初は鉄のピッケルで採掘していたが、水に浸して塩を液体として採掘する方法が開発され、生産性が向上した。
◯今でも塩が採掘されており、1日3.5万トンも生産されている。
◯岩と塩が混じった岩塩だったり、それを精製した塩だったり、様々な塩の展示がありました。ドリルが沢山付いた大きな掘削機の模型もありましたが、これが1週間前にバイロイト音楽祭で観たワーグナー/パルジファル第3幕に出てきた掘削機にそっくり!(日本では見ないタイプの掘削機)
アンフォルタス側とクリングゾール側の資源を巡る戦いの読み替えの舞台だったんだと、この模型を見て確信に至りました!こういう旅の中での偶然の巡り合わせは本当に嬉しいものです。
(参考)2023.8.15 ワーグナー/パルジファル with ARゴーグル(バイロイト音楽祭)
https://ameblo.jp/franz2013/entry-12828536896.html
◯オーストリアの岩塩坑ですが、何と!岩塩坑の中の2/3はドイツに属しており、岩塩坑の坑道の途中には国境までありました!19世紀に取り決められたドイツとの条約は、ヨーロッパでもとても古い条約なんだそうです。
◯最初にトロッコで岩塩坑の奥に入るアプローチがとても楽しい。そして、途中2箇所で木製の滑り台で地下に降りますが、かなりのスピードが出て、「これっ、ヤバイやつなのでは?」と大いに焦りました、笑。
◯小学生の団体と一緒になり、道中はかなりのカオスな状況に、笑。私は子供が大好きなので、とても微笑ましかったです。
世界最高の音楽祭の開かれるザルツブルクは、「塩の城」という名の通り、塩の交易により繁栄したまちです。つまり、この岩塩坑から取れる塩がなければ、ザルツブルクの繁栄はなく、ひいてはザルツブルク音楽祭もなかったのかも知れません?
そのザルツブルクの原点とも言うべき岩塩坑を見学できて、大いに感慨深かったです!
(写真)バート・デュルンベルク岩塩坑のガイドツアーのお土産の塩
(写真)バスの時間が合わなかったので、帰り道は歩いてまちに戻ります。途中の山の景色が美しい!
(写真)高台から見たハラインのまちなみ。そして、立派な市教区教会。
(写真)きよしこの夜博物館。ここはあの「きよしこの夜」の作曲者フランツ・グルーバーが長年住んでいた家です。オーストリアの教師・教会オルガン奏者のグルーバーは友人のモール神父からの依頼で、あの世界的に有名な「きよしこの夜」を作曲したのでした。
グルーバーは「きよしこの夜」だけでなく、様々な曲を作曲していて、きよしこの夜博物館では、その音源や楽譜が豊富にありました。
(写真)ハライン駅までの道中の風景。市役所の建物、塩のお店の鉄細工の看板、ザルツブルクも通るザルツァッハ川。
今回は時間が限られて、ハラインの見どころの一つのケルト博物館を観る時間がありませんでしたが、いつか再訪したいです。
そして、ハライン観光の後は、ザルツブルクに戻って、久しぶりに「アレ(A.R.E.)」を観劇しました。(昨年の流行語大賞のパクリ、笑)
フランツさん、「アレ」って何ですか?
はい。ザルツブルク音楽祭で「アレ」と言ったら、ただ一つ。1920年のザルツブルク音楽祭のスタート以来、100年にも渡って上演され続けている「アレ」です。さて、それは一体何でしょう?次の記事で!(続く)