午後にロッシーニ/セビリアの理髪師を楽しんだ後、夜には今回の夏の旅行の中で、最も楽しみにしていたオペラを観に行きました。ヤナーチェクのオペラ、カーチャ・カバノヴァーです!

 

 

Salzburger Festspiele

Leoš Janáček

Káťa Kabanová

(Felsenreitschule)

 

Conductor: Jakub Hrůša

Director: Barrie Kosky

Sets: Rufus Didwiszus

Costumes: Victoria Behr

Lighting: Franck Evin

Dramaturgy: Christian Arseni

 

Savjol Prokofjevič Dikoj: Jens Larsen

Boris Grigorjevič: David Butt Philip

Marfa Ignatěvna Kabanová (Kabanicha): Evelyn Herlitzius

Tichon Ivanyč Kabanov: Jaroslav Březina

Katěrina (Káťa): Corinne Winters

Váňa Kudrjáš: Benjamin Hulett

Varvara: Jarmila Balážová

Kuligin: Michael Mofidian

Glaša: Nicole Chirka

Fekluša: Ann-Kathrin Niemczyk

 

Concert Association of the Vienna State Opera Chorus

Vienna Philharmonic

 

 

(写真)本公演のポスター。閉塞感を表わすフェルゼンライトシューレの壁に向けて、張り裂けるような気持ちを訴えるカーチャの非常に印象的なポーズ。

 

(写真)開演前のフェルゼンライトシューレ。

 

 

(参考)本公演のダイジェスト動画。これをご覧いただいてから記事を読んでいただくと、独特な舞台背景が分かりやすいと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=HXAXQqDgSgk (2分)

※ザルツブルク音楽祭の公式動画より

 

 

 

チェコ(モラヴィア)の作曲家レオシュ・ヤナーチェク(1854-1928)のオペラはこれまで6作品観たことがあります。特に東京交響楽団に「死者の家から」「マクロプロスの秘事」「ブロウチェク氏の旅行」など、ヤナーチェクのオペラの上演(セミステージ形式)を敢行していただいたのがとても嬉しかった!レアなオペラを楽しむことができて、本当に感謝しています。

 

中でも特に魅了されたのが、2000年の「カーチャ・カバノヴァー」の公演。冒頭に印象的に出てくるティンパニの寂しげな響きに一瞬で虜になり、予習のチャールズ・マッケラス/ウィーン・フィル盤のCDを繰り返し何度も聴きました。悲しさと美しさが共存した不思議な魅力を持つ音楽。オペラのみならず、ヤナーチェクのあらゆる作品の中で一番好きです。

 

 

そのカーチャ・カバノヴァーをザルツブルク音楽祭で観ることができる!しかもヤクブ・フルシャ/ウィーン・フィルの演奏、バリー・コスキーさんの演出、タイトルロールがコリンヌ・ウィンターズさん(後述)と役者が揃いました!めっちゃ楽しみです!

 

 

 

カーチャ・カバノヴァーのあらすじをごく簡単に。ヴォルガ河畔の片田舎のまちが物語の舞台。カバノフ家の未亡人カバニハの息子ティホーンに嫁いだカーチャは、姑のカバニハに毎日のようにいじめられる自由のない窮屈な生活の中、近くに住むヂコイの甥っ子ボリスに惹かれ、またボリスもカーチャに惹かれます。

 

ティホーンの不在中、大いに葛藤した上で、カーチャは遂にボリスと結ばれますが、罪の意識に苛まれてそのことを告白し、最後はヴォルガ川に身を投げる、というとても悲しい物語です。

 

 

 

幕が開けると、左右に広いフェルゼンライトシューレの舞台に、様々な服装の人々が後ろ向きでずらっと並んで背景を作ります。非常にインパクトのある舞台!私はこれを見た瞬間に、第3幕でこの後ろ向きの人々が前を向いてコーラスを歌いながら迫り、カーチャを追い詰めていく流れを想像しました。(しかし、それは「不可能」なことが後に判明します。)

 

(写真)その幕が開いた場面での舞台の背景。公演パンフレット1ページから撮った舞台風景ですが、実際は2ページに渡るので横にこの2倍。フェルゼンライトシューレ(元馬術学校)は横に広~い舞台なので、かなりのインパクトがありました。

※購入した公演パンフレットより

 

 

その印象的な背景の前で、冒頭、カーチャ役のコリンヌ・ウィンターズさんが、広い舞台を左から右へと全速力で駆けていき、壁にぶつかり、どこにも行き場のない閉塞感を表わします。今回の舞台は、フェルゼンライトシューレの特徴である上部の美しい窓(元観客席)までも全て塞ぐ徹底ぶり。閉塞感や絶望感をよく出していました。

 

 

音楽が始まりました。冒頭からウィーン・フィルのしっとり寂しげな音色が素晴らしい!タンタンタンタン、タンタンタンタン!印象的なティンパニも味わい深い響きで加わります。

 

指揮者はヤナーチェクと同郷、チェコのブルノ出身のヤクブ・フルシャさん。間をよく開けて、メリハリをよく出して、とても見事な指揮でした!序曲途中の憧れの音楽で、ウィーン・フィルのフルートとハープが何と素晴らしいことか!

 

冒頭のクドリヤーシやボリスのシーンに続いて、カバノフ家一行が登場。カーチャの夫のティホーンは、見るからに冴えない格好の上に昼間からお酒を飲んでいて、一見してダメだこりゃ…という印象を持たせます。

 

舞台転換は幕を横に引いていましたが、この「ザザー」という音が自然に川の音に聞こえてきて、とてもいい感じ。おそらくそこまで計算されているのでしょう。

 

次の場はカーチャとカバノフ家の養女ヴァルヴァラのシーン。コリンヌ・ウィンターズさんは、ややメゾよりの悲しげな声がカーチャ役にぴったり!感情溢れる演技が冴えて、スタイルも美しい。全く魅了されるカーチャです。

 

ヴァルヴァラと2人のシーンでは、オケピットをヴォルガ川に見立てて足を浸す演技が、シンプルながら本当にセンスの良さを感じます。結局、終幕まで、背景の後ろ向きの人垣以外には、舞台装飾の類は一切出て来ませんでした。

 

その後のカーチャがティホーンに(商売のため)他のまちには行かないでと懇願するシーン。ウィーン・フィルの美しさと皮肉な音色の対比が素晴らしい!そして旅に出るティホーンにあれこれ指図するカバニハのラストが強烈!あのドラマティック・ソプラノのエヴェリン・ヘルリツィウスさんがカバニハ役なんです!

 

私は以前にザルツブル音楽祭で観た、R.シュトラウス/影のない女で、エヴェリン・ヘルリツィウスさんが歌うバラクの妻が圧倒的に素晴らしかった思い出がありますが、その存在感たるや未だに健在でした。

 

カバニハたちが引っ込んだ後の音楽だけのラストでは、スクリーンの後ろでカーチャが走り回るも、人々が壁になってどこにも行き場のないカーチャという象徴的な演出!第1幕を観た時点で、これは自分のオペラ観劇人生の中でも特筆すべき凄い舞台になる。そう直感しました!

 

 

 

第2幕。舞台後ろの人々は隊列を変えて、違う背景を形づくります。この時点でも、後ろ向きながらカーチャたちの話に聞き耳を立て、噂話もするだろうこれらの人々が、第3幕でカーチャを追い詰めるものと私は予想していました。

 

ボリスのことを聞いたヴァルヴァラが、カーチャに逢い引きをプッシュして、庭の木戸の鍵を渡します。果たしてその鍵を手に取ってしまっていいものかどうか?カーチャの逡巡する演技に大いに魅了され、最後の最後に鍵を手にした時の、思わせぶりな艶めかしいしぐさにはゾクゾクしました!コリンヌ・ウィンターズさんのもの悲しげな声と演技が冴え渡ります。

 

その後のカバニハとヂコイのやりとりのシーンは、まさかのSMのシーンに、笑。ステッキで鞭打つカバニハは日常の気性そのまんまですが、甥っ子のボリスをいつも虐げているヂコイが実はマゾだった、というシーンには、人間の性(さが)とヂコイ自体の日常の閉塞感をも感じました。

 

カーチャたちの逢い引きをアシストしたり、無邪気にケンケンパをしたり、クドリヤーシとヴァルヴァラのカップルはいい意味で自由気ままで自然体。そして遂にボリスと結ばれるカーチャ。悲愴的な音楽が多いカーチャ・カバノヴァーの中で、この辺りの音楽は輝かしくて本当に素晴らしい!これを盛大に鳴らすウィーン・フィルで聴く愉悦!

 

 

 

第3幕。雷のシーンでは舞台にカーチャも登場。舞台前方のオケピットの縁を川岸に見立てて、そこでずっと悩む演技が付きました。最後はここから飛び降りるのでしょか?その雷のシーンは数人の人間がクルクル回って雷を表わし、人間の活力の源、あるいは運命に翻弄される人間を表わしていたのかな?と思いました。

 

カーチャが罪を犯したと告白するシーンは、ウィーン・フィルのティンパニの連打が緊迫感十分。カーチャの独白はコリンヌ・ウィンターズさんの圧巻の歌!まるでブリュンヒルデの自己犠牲のような聴き応え、迫力満点の素晴らしい歌に魅了されました!

 

(写真)第3幕でカバニハたちに問い詰められるカーチャ(コリンヌ・ウィンターズさん)。歌は素晴らしく、演技も抜群、舞台姿も美しい。悲劇のヒロインを見事に演じていました。

※購入した公演パンフレットより

 

 

ボリスがシベリアに行かされることを聞いて、自責の念から、とうとうヴォルガ川に身を投げるカーチャ…。ラストはカーチャの亡骸を前にカバニハが仁王立ちとなり周囲に対し歌いますが、カーチャが亡くなったことを気にかけるそぶりもなく、捜索してくれた周りのみなさんへの御礼の言葉だけ。エヴェリン・ヘルリツィウスさん、世間体のことだけしか考えない冷たい心のカバハニをよく表わす、強烈な歌で締めくくりました!

 

 

 

また凄い舞台を観た!

 

バリー・コスキーさんの神演出!

 

コリンヌ・ウィンターズさんのザルツブルク音楽祭デビュー!スター誕生の瞬間を目撃!

 

 

 

いや~、めちゃめちゃ凄かったです!これです、これ!だからザルツブルク音楽祭に行かずにはいられないんです!

 

 

結局、舞台の後ろにずらっと並んだ人々は、一度もこちら側を向きませんでした。なぜなら、人間ではなくて、マネキンの人形だったんです!舞台の上で最初から最後までずっと後ろ向き。カーテンコールでさえもこちらを向かなかったので、初めて気付きました!

 

それでは、大勢の後ろ向きのマネキン人形を舞台後ろにずらっと並べたのにはどんな意味があるのでしょう?カーチャ・カバノヴァーは、同じヤナーチェクのオペラ「イエヌーファ」と同様に、田舎まちが舞台。片田舎の周りの目が厳しい、息が詰まりそうな生活の中で追い詰められ、仕方なく不倫を犯して、そのことに苛まれるカーチャの悲劇の物語です。

 

しかし、今回はそれらの人々がカーチャを追い詰めることはありませんでした。私は今回は周りの人々の「厳しい目」ではなく、逆に周りの人々の「無関心」が引き起こした悲劇、ということを強調していたのではないか?と捉えました。

 

途中でカーチャの日常生活や罪を犯した苦しみに、誰か一人でも気付いてあげて、しっかり話を聞いて寄り添ってあげる人が現れていたら、カーチャは自ら死を選ぶまで追い詰められることはなかったのではないでしょうか?冒頭、広い舞台を駆けるカーチャに誰一人として反応せず、関心を示さなかったのが象徴的です。

 

カーチャの苛まれる心や恐怖心を視覚化したものなのかも知れませんが、私はカーチャ・カバノヴァーの物語を、単なる昔の片田舎の物語ではなく、現代社会においても都会も含めてどこでも起こり得る悲劇、「無関心」という現代社会やネット社会ならでは現象や病理を浮き彫りにさせるべくアレンジした、素晴らしい演出・舞台だと思ったしだいです。さすがはバリー・コスキーさん!と大いに唸りました!(全然違っていたりして、笑)

 

 

 

そして、カーチャを好演したコリンヌ・ウィンターズさん!役に同化した見事な歌と演技、最高のカーチャでした!近年のザルツブルク音楽祭で絶讃ブレイク中のアスミク・グリゴリアンさんといい(今年はプッチーニ3部作に出演)、ザルツブルグ音楽祭はスター歌手を発掘・打ち出すのが本当に上手い!

 

日本ではおそらくまだほとんど知られていないコリンヌ・ウィンターズさんですが、幸運なことに、私はその傑出した歌と演技に触れる機会に恵まれています。2019年末にアン・デア・ウィーン劇場で観たスタニスワフ・モニューシュコ/ハルカ。そのタイトルロールがコリンヌ・ウィンターズさんだったんです。

 

(参考)2019.12.29 スタニスワフ・モニューシュコ/ハルカ(アン・デア・ウィーン劇場)

https://ameblo.jp/franz2013/entry-12571073523.html

 

 

その時はポーランドのオペラということで、世界的ポーランド歌手のトマス・コニエチュニーさんとピョートル・ベチャワさんも出演されていて、全くもって見事でしたが、その実力派2人と互角に渡り合って存在感を出していたのがハルカ役のコリンヌ・ウィンターズさんなんです。

 

この素晴らしいソプラノはいずれ頭角を現すとその時に確信しましたが、ザルツブルク音楽祭デビューを見事にタイトルロールで実現して、満員の観客から喝采を浴びて、非常に感動的でした!一生応援します!最高のカーチャ・カバノヴァーでした!

 

 

 

 

 

(写真)終演後、ザルツァッハ川の橋の上から見たザルツブルクの旧市街。素晴らしい公演の感動のもと、心地良い夜風に吹かれながら、この風景を見るのが好きなんです。

 

(写真)遅い時間なので、夕食はサンドイッチとビールのみですが、ヤナーチェクのオペラを観た後、ということで、ビールはチェコのビール、ピルスナー・ウルケルにしました。東京だと350ml缶しか見かけないので、500ml缶を飲めるのが嬉しい。