8月下旬にワーグナー → ワーグナー → R.シュトラウスと続けて楽しんできたMETライブビューイングのアンコール上映。トリを飾るのはアルバン・ベルク/ヴォツェックです!

 

 

METライブビューイング(東劇)

アルバン・ベルク/ヴォツェック

 

指揮:ヤニック・ネゼ=セガン

演出:ウィリアム・ケントリッジ

 

ヴォツェック:ペーター・マッテイ

マリー:エルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァー

鼓手長:クルストファー・ヴェントリス

大尉:ゲルハルド・ジーゲル

医師:クリスチャン・ヴァン・ホーン

 

 

 

(写真)ウィリアム・ケントリッジ演出のヴォツェックの一場面。このように出演者とセットとアニメーションが交錯する、非常に象徴的な舞台の中で物語が展開されます。

※METの公式動画より(下記参考動画の一場面)

 

(参考)ヴォツェックのダイジェスト(ヴォツェックについてのウィリアム・ケントリッジさんのインタビュー)。インタビューの合間に舞台の映像が沢山出てきて、この動画がケントリッジさんのヴォツェックを一番体感できると思います。

https://www.youtube.com/watch?v=4AwwwMN6q3I (3分)

※METの公式動画より

 

 

 

このMETのヴォツェックは、「動くドローイング」のアニメーションで世界的に有名な、ウィリアム・ケントリッジさん演出の舞台です。私のオペラ観劇人生でほとんど最高の体験となった、2017年のザルツブルク音楽祭のヴォツェック。その時と同じウィリアム・ケントリッジさんによるヴォツェック!大いなる期待を持って観に行きました!

 

(参考)2017.8.17 アルバン・ベルク/ヴォツェック(ザルツブルク音楽祭)

https://ameblo.jp/franz2013/entry-12317871044.html

 

 

 

あらすじをごく簡単に。貧しい兵士ヴォツェックは、内縁の妻マリーと子供のために、稼ぎを得るべく医者の人体実験になるまでの厳しい生活を送っています。マリーはたくましい鼓手長に惹かれ、とうとう浮気をしてしまいます。そのことを知ったヴォツェックは遂にはマリーを殺し、自分も死んでしまう、という救いようのない社会派オペラです。

 

 

 

上映が始まりました。まずは、ウィリアム・ケントリッジさんとヤニック・ネゼ=セガンさんのインタビュー。ケントリッジさんは、この見事なコンテンポラリーアートのような演出について「オペラの主題を増幅する手段を考えた」とのお話。セガンさんはアルバン・ベルクの斬新な音楽について「エレクトラやサロメをさらに発展させた音楽だが、バロックへのオマージュでもある」とのこと。

 

お二人のなるほど!という、とても興味深い解説(あと1時間くらい聞きたい、笑)で期待が高まります。案内役のエリック・オーウェンズさんの「強烈な体験をお楽しみください!」の言葉で、舞台が始まりました。

 

 

 

そして公演を観ての感想は?

 

いや~、またしても凄い舞台を観た!ウィリアム・ケントリッジさんの圧巻の舞台再び!

 

 

 

演出はザルツブルク音楽祭で観た時と基本的には同じ感想ですが、動くドローイング・アートを駆使して、この悲惨で不条理なオペラの世界を、音楽に見事に合わせて、いや、ケントリッジさん自らがおっしゃるように「増幅」させて、観客を飲み込んだ圧巻の演出でした!

 

特に、医師がヴォツェックを人体実験にして、症例が進んだのを確認して大喜びするマッド・ドクターっぷり。インパクト抜群の大尉と医師の掛け合いのシーン。酒場での大勢の人々の踊りと徒弟職人が哲学を語るシーン。最後の5分くらい、登場人物が舞台から去り、戦士や爆弾のアニメが流される中、劇的な音楽が演奏されるシーンなどなど、大いに惹き込まれました。常にモップで床を拭いていて、まるで汚れた世界を掃除しているような、美しいマルグレートもキラリと光っていました。

 

そして涙涙の最後のシーン…。「マリーおばさんが死んだよ」という子供たちの言葉が分からずに、マリーの子供がハイドウハイドウと馬乗りを口ずさむシーン…。子供は人形遣いが操る人形で演じられますが、「文楽で泣く」の如く、人間以上に人形が醸し出す悲しさが心に沁みました…。

 

 

ザルツブルク音楽祭との違いも興味深かったです。主に違った点は、以下の通り。

 

◯徒弟職人のシーンは、ザルツブルク音楽祭では、徒弟職人が操り人形のような振付をして、酒場の全員がそれに操られているような演技だったのが、そこまでではなかった点

 

◯酒場でヴォツェックが鼓手長にやられるシーンは、ザルツブルク音楽祭では、ヴォツェックが鼓手長に一度刃向かっていたのが、一方的にのされていた点

 

◯マリーが聖書を読むシーンは、ザルツブルク音楽祭では、背景のスクリーンで最後矢印の多くが交錯して、マリーの魂の行き先が分からなくなったのが、METでは、何と鼓手長のアニメで終わっていたこと!マリーの後悔の言葉とはうらはらに、深層心理では強い者に憧れることを示していたと思われるシーン、とても印象的でした。

 

 

 

歌手では、特に、ペーター・マッテイさんのヴォツェックの悲壮さと狂いっぷりが見事でした。ペーター・マッテイさんはこれがロールデビューですが、そうとは全く思えない見事な歌と感情移入たっぷりの演技。先日のノーブルなウォルフラムと同じ人とはとうてい思えず、虐げられたヴォツェックを見事に演じていました。

 

マリーの印象もザルツブルク音楽祭とは異なりました。ザルツブルク音楽祭の時のアスミク・グリゴリアンさんのマリーはあどけない少女のようでしたが、今回のエルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァーさんによるマリーはもっと成熟した女性で、やるせない生活に疲れたリアリティさがよく出ていました。ヴォツェックがマリーの浮気に気付きながらも、お金を仕入れるシーンで、「私は悪い女だ」と鼓手長との逢瀬を後悔するマリーの改悛の念も見事な演技でした。

 

 

 

終演後はペーター・マッテイさんらのインタビュー。マッテイさんの「蜘蛛の巣が何重にも張っているような作品」という言葉が印象的。これから歌っていくが、まだまだ発見に満ちている、というお話でした。ザルツブルク音楽祭で観た、不幸な状況に途方に暮れた感もあった、マティアス・ゲルネさんのヴォツェックとは好対照な、とても能動的なヴォツェック、今後もとても楽しみです!

 

 

 

METライブビューイングのヴォツェック、ザルツブルク音楽祭の圧倒的な感動再び!極めて素晴らしい公演でした!ザルツブルク音楽祭の公演のことは昨日のようによく覚えているので、同じところ、違うところ、比較しながら観るのも楽しかったです。

 

ヤニック・ネゼ=セガンさんとMETのオケはこの難曲を見事に演奏!ドイツのオケによるザッハリッヒで厳しいヴォツェックというよりは、柔らかく美しいヴォツェックという印象でしたが、感想はここまでにします。

 

というのも、METのライブビューイングは生のオペラを観る実感を十分に持つことのできる、素晴らしい企画だと思いますが(特にコロナの状況の中では本当に貴重)、このヴォツェックではオケの響きが二次元的に聴こえて、ベルクの壮絶な音楽を細かいニュアンスまでは十分伝え切れていない、ことオケの音に関しては、やはり生の観劇には敵わない、という印象を持ちました。

 

 

 

新ウィーン楽派の作曲家アルバン・ベルクのヴォツェックは、古今東西のオペラの中で、おそらく最も難解なオペラの一つです。オペラをよくご覧になられている方々でも、音楽に全く馴染めない、全く歯が立たない、訳わからん、チンプンカンプン、ということをよく聞きます。

 

私も最初にCDで聴いた時は???でしたが、CDを繰り返し聴いた上で、2009年と2014年の新国立劇場の公演(素晴らしかった!)、2017年のザルツブルク音楽祭の公演(観劇人生で最高!)を経て、今ではかなりの親しみを覚え、芸術作品としての素晴らしさや完成度の高さを存分に感じる作品となりました。(さらに、2000年には、世田谷パブリックシアターで「ヴォイツェック」というゲオルク・ビューヒナーの戯曲の演劇も観ています。)

 

そのヴォツェック、実は初めて実演を観たのは、METなんです!2005年の年末にニューヨークに行った時に、ちゃんと冒頭のシーンでヴォツェックが大尉の髭を剃っている(笑)、とてもオーソドックスな舞台を観ました。私にヴォツェックというオペラの素晴らしさを教えてくれたMET。再び素晴らしい舞台で観ることができ、とても感慨深いものがありました。