METライブビューイングのアンコール上映で、ジュール・マスネの隠れた傑作オペラ「タイス」を観てきました。

 

 

METライブビューイング(東劇)

マスネ/タイス

 

指揮:ヘスス・ロペス=コボス

演出:ジョン・コックス

 

タイス:ルネ・フレミング

アタナエル:トーマス・ハンプソン

ニシアス:ミヒャエル・シャーデ

パレモン:アラン・ヴェルヌ

クロビール:アリソン・ケンブリッジ

ミルタール:ジンジャー・コスタ・ジャクソン

アルビーヌ:マリア・ジフチャク

 

 

 

タイス。この言葉はクラシック音楽が好きな方なら、おそらくご存知だと思います。ヴァイオリンによる旋律で有名な「タイスの瞑想曲」、そのタイスです。私も以前にピアノ版で弾いたことがあります。これはこれで素敵な曲ですが、同時に、やはり持続音を弾けるヴァイオリンの旋律には敵わない、とも思いました。

 

(参考)マスネ/タイスの瞑想曲(ヴァイオリン&ピアノ)

https://www.youtube.com/watch?v=EUo2qBTu75I (5分)

※袴田美穂さんの公式動画より。教会の中での真摯なヴァイオリンが素敵。ちなみに、公式動画か分らず掲載は控えましたが、YouTubeに神尾真由子さんによる情感溢れるタイスの瞑想曲もありました!

 

 

それでは、そのタイスとは一体何でしょう?タイスの瞑想曲はどんな場面の音楽なのでしょうか?タイスの瞑想曲をご存じでも、答えられる方はおそらく半分もいないと思います。

 

 

お待たせしました!その答えは本ブログをご覧いただくと分かります!(笑)

 

 

 

まずはあらすじをごく簡単に。4世紀のエジプト。ナイル河畔のテバイードに集まる苦行僧のアタナエルは、退廃するアレクサンドリアに怒り、その原因である絶世の美女タイスを回心させ、信仰に目覚めさせることを誓います。

 

アタナエルはタイスに会って信仰を説き、遂にはタイスを回心させることに成功しますが、同時にタイスのことを深く愛してしまうのでした。タイスとアタナエルの運命は果たしてどうなるのでしょうか?

 

 

と言うことで、まず、「タイス」とは、アレクサンドリアの遊女の名前なんです。官能と逸楽の生活を追い、周りにはいつも崇拝する男たちが。その男たちの一人が若くて美貌の富豪、ニシアスです。

 

 

 

第1幕。テバイードの砂漠の場面。アタナエルがアレクサンドリアの堕落と、その原因であるタイスを非難する歌を歌います。しかし、既にこの時に、アタナエルは本当はタイスが好きで好きで仕方がない、という印象を受けます。

 

アタナエルが夢の中でタイスを夢見るシーンは、ほとんどワーグナー/タンホイザーの第3幕でヴェーヌスベルグが再来する時のような半音階の妖しい音楽。

 

アタナエルはタイスを信仰の道に回心させることを誓いますが、修行僧の長老パレモンは「世俗の者どもには決してかかわってはいけない」と厳しく諭します。

 

 

第2場はアレクサンドリアのニシアスの豪壮な邸宅。このオペラの中で私が特に好きな音楽がてんこ盛りの場面です。前奏はホルン主体の日の光を感じさせる明るく晴れ晴れしい音楽ですが、その後のニシアスたちの民族的な音楽とのコントラストが本当に素晴らしい!

 

アタナエルはタイスと対決する気持ちをアリア「これがあのおそるべき都市」で歌って、勇気を振るいます。「来たれ天使たちよ!」と歌うシーンでは、魔法のように長調に転調するマスネの音楽が最高!世の中にはこんなにも美しい音楽があるのか!トーマス・ハンプソンさんの素晴らしい歌!

 

この後、遊女のクロビールとミルタールのアカペラとオーボエのエキゾチックな旋律で、ガラッと雰囲気が変わります。ニシアスが出てきて、同窓だったアタナエルとの旧交を温めます。

 

クロビールとミルタールが、アタナエルを「ハハハハハハ」とからかって、ニシアスが洒落た旋律を歌う、アタナエルの着替えの四重歌が素晴らしい!カルメンのフラスキータとメルセデスもそうですが、素晴らしい脇役は舞台を締めますね。

 

さあ、いよいよタイスが登場です。タイス入場の音楽のウキウキ感がたまらん!(笑) マスネって、天才!そしてタイスの登場の歌!打って変わって、しっとりとして官能的な歌はルネ・フレミングさんによる抜群の歌!ここの官能性は、ニシアスとの二重唱も含め、ほとんどサン=サーンス「サムソンとデリラ」第2幕のデリラのアリア「あなたの声に心は開く」に匹敵するほど!

 

そして最初のアタナエルとタイスとの対決では、侮辱するアタナエルに対して、タイスは「人は愛するために生まれてきた」と諭します。何という正論!大いに共感するフランツ。最後はタイスがアタナエルにキスをして幕となりました。最高の第1幕!

 

 

 

幕間はプラシド・ドミンゴさんによる、ルネ・フレミングさんへのインタビュー。タイスは中低音が多く自分の声に合っている。タイスの心境の変化を表すのが演じていて難しい点、というお話でした。

 

また衣装担当の方のお話では、タイスのパリの初演では、タイスの衣装が何と脱げてしまったそうです!衣装の方が、「事故か?意図的か?」とおっしゃっていたのがお茶目。

 

 

 

第2幕。タイスの館。自分の衰えを恐れるタイスのアリア「私は美しいと言っておくれ」の後、アタナエルがいよいよタイスとの対決のため入ってきます。アタナエルの「タイスの魅力に負けませんように」と自らを鼓舞する歌詞が印象的。

 

タイスが「私を愛しているの?」とからかうのに対して、「そうだ、あなたを愛している。だが、私の愛は霊の愛、真実の愛だ。」と即答するアタナエル。強い意志です。

 

アタナエルの「私の言葉は、ヨルダンの流れのように広がり溢れて、おまえの魂を洗い清め、永遠の生命に導くのだ!」の言葉が、タイスに刺さります。ここはフルートに先導された神々しい音楽が付いていて、極めて感動的な場面。アタナエルはタイスに、戸口の外で朝まで待っている、と言って立ち去ります。

 

 

そして幕が降りて間奏曲の後、いよいよ「タイスの瞑想曲」の場面となります。

 

つまり、「タイスの瞑想曲」とは、アタナエルから強く回心を迫られて、逸楽と信仰のいずれを選ぶかで迷う、タイスの感情を暗示する音楽なのです。

 

その「タイスの瞑想曲」は、ヴァイオリン独奏がアップで映されていました。ライブビューイングならではの趣向で、演奏も立派でしたが、ここはタイスの揺れ動く気持ちに集中したいので、スクリーンを真っ暗にして、音楽だけの方がいいかも知れません。(あるいは、タイスが舞台でずっと祈るシーンなどがより感動的かも)

 

 

タイスは信仰を取り、アタナエルに従う道を選択しました。アタナエルから、汚れの印である屋敷や財宝を全て燃やせと言われます。タイスはこれだけは残したい、とエロス(キューピッド)の人形への想いを語り、アタナエルもそれなら、と受け取りますが、実はニシアスからのプレゼントと聞いて激昂。アタナエルの人間的な懐の狭小さを示します。

 

ニシアスと群衆が出て来てバッカスを讃えます。私はやっぱりこれだな!(笑) そして、タイスがアタナエルとまちを出ようとするのを群衆が邪魔します。最初はそれに荷担するニシアスでしたが、最後は群衆にお金をばらまいて、愛するタイスが脱出するのを助けます。そこでニシアスの歌うセリフが感動的!

 

 

「さあ行き給え!さようなら、タイス!君が僕を忘れようとも、君の思い出は、僕の心に香りとなって残るだろう!」

 

 

ニシアス、ブラボー!アタナエルがニシアスからのプレゼントのエロスの人形に激昂したのに対し、ニシアスはタイスを奪われてしまうのにも関わらず、最後は潔く送り出します。享楽主義者のニシアスですが、こういう寛大で粋なところが大好き。最後のニシアスとタイスとの二重唱も素敵なシーン。ミヒャエル・シャーデさんのフランス語は初めて聞きましたが、ニシアスをいい感じで好演していました。第2幕が終了。

 

 

 

再び幕間のインタビュー。プラシド・ドミンゴさんとルネ・フレミングさんとトーマス・ハンプソンさんの3人によるタイスの話がさすがの一言!タイスは快楽主義者でアタナエルは原理主義者、サムソンとデリラやエロディアードなど他のオペラも引き合いに出した人物観察のトークには大変興味深いものがありました。

 

なお、タイスの瞑想曲を弾いたコンマスの方は、2006年のMETのジャパンツアーの際に、紀尾井ホールで初めてこの曲を演奏したそうです。

 

 

 

第3幕。砂漠のオアシス。アタナエルとタイスは修道院を目指して砂漠を歩きます。アタナエルの与えた試練により、砂漠を歩き通して血まみれになったタイスの白い足に、アタナエルは許しておくれと接吻します。砂漠の二重唱は優しい旋律にホッとする音楽。

 

アルビーヌの聖なる修道院に着いて、ここでアタナエルはタイスと別れます。タイスの「聖なる都でまたお目にかかれます」のセリフにシンクロして流れるタイスの瞑想曲に涙…。

 

 

第2場はテーベの修道士たちの場面。アタナエルはタイスを回心させることに見事成功したにも関わらず、心の平和が得られません。

 

パレモンに「美しい女のまぼろしがつきまとって離れない、浮かぶのはタイス」と告白しますが、パレモンは「俗世と交わってはいけないと言っただろう」と、つれなくアタナエルを見捨てて去って行きます。宗教の残酷な一面を垣間見たシーン。

 

間奏曲はアタナエルの心境を表わした激しいもの。そして間奏曲の最後に出てくるタイスの瞑想曲の旋律は、今度はフルートにより奏でられます!フルートで聴くと、修道院に入ったタイスが、より聖なる世界に近づいている印象を持ちますね。

 

 

第3場はタイスの死のシーン。死にゆくタイスは立派なイスに座って、ほとんど聖人の宗教画のような雰囲気。木の皮を思わせるシンプルな衣裳は、まるでR.シュトラウス/ダフネのラスト、ダフネが木(月桂樹)に変身するシーンのよう。

 

タイスに死が近いことを聞きつけて、アタナエルが来訪しますが、温かく迎え入れるアルビーヌ様がいいですね。冷たいパレモンとの対比を感じました。

 

死にゆくタイスに、アタナエルは告白します。「私の話は嘘だった。人の世の愛だけが真実なのだ。」と、第1幕のタイスと同じ言葉でタイスに情熱的に告白するアタナエル。

 

しかし、タイスは「天国!神様が見える!」と言い残し、アタナエルが予告した心の底からの平安を得て、旅立っていきました。絶望するアタナエルで幕。

 

 

 

いや~、マスネのタイス、音楽だけは何度も聴いてきた作品ですが、ようやく映像をMETライブビューイングの大迫力の画面で観ることができ、極めて感動的な観劇となりました!

 

 

何という素晴らしい作品!

何という象徴的な作品!

 

 

享楽と信仰の対比をテーマとしたオペラですが、パレモンがアタナエルを救わず、逆にニシアスがタイスを助けたり、単純な「信仰=善/享楽=悪」の対比では片付けられない、いろいろと考えさせられる奥深いオペラでした。

 

歌手が見事に揃って、ヘスス・ロペス=コボスさんの指揮もとても雰囲気があり、METらしいオーソドックスな演出も素敵でしたが、何よりマスネの音楽が本当に素晴らしい!マスネのオペラは過去にウェルテルとマノンはそれぞれ3回、エロディアード、ドン・キショット、ナヴァラの娘、マノンの肖像も実演を観たことがありますが、私はこのタイスこそマスネの最高傑作だと思います。

 

 

 

この素晴らしいマスネのタイス。東劇(東銀座)で8月15日(土)10:00~13:30、16日(日)10:00~13:30と、次の土日にもう2回上演があります。タイスの瞑想曲が好きな方、マスネやフランス・オペラが好きな方、そして享楽と信仰のような主題が好きな方は、ぜひご覧になってみることをお勧めします。

 

 

 

(写真)マスネ/タイスのCDの決定版と言われている、イヴ・アペル/ボルドー・アキテーヌ管弦楽団版。タイスはルネ・フレミングさん、アタナエルはトーマス・ハンプソンさんとMETと同じですが、ニシアスをジュゼッペ・サッバティーニさんが歌っているのが最高!セクシーで軽やかなサッバティーニさんのフランス語は、好漢の享楽主義者ニシアスにピッタリです。

 

ピアノ版の「タイスの瞑想曲」を弾いた時に、曲について研究するために購入したCDですが、逆にオペラ自体にはまってしまい(笑)。もう何度聴いたか分らないくらいに熱狂したCDです。