広上淳一さんとN響の楽しいベートーベン(8番)を聴いた後、そのまま六本木まで移動して、東響の定期演奏会を聴きに行きました。来日できないことから、指揮者のジョナサン・ノットさんが映像により参加する、話題の公演です!

 

 

東京交響楽団第682回定期演奏会

(サントリーホール)

 

指揮:ジョナサン・ノット(映像出演)

 

ストラヴィンスキー/ハ長の交響曲

ベートーベン/交響曲第3番変ホ長調

 

 

 

前半はストラヴィンスキー。この曲は指揮者なしでの演奏でしたが、コンマスのグレブ・ニキティンさんがリードして、東響はいつもと変わらぬクオリティ、ものの見事な演奏でした!しかし、そこは個人的にめっぽう苦手な新古典主義の時代のストラヴィンスキーの曲…、いや~ものの見事にさっぱり分からず(笑)。

 

主題を展開させて、いろいろ工夫していることは分かるのですが、(本当に申し訳ないですが)単に言葉遊びをしているようにしか聴こえて来ず、何を伝えたいのか、さっぱり分らないのです…。ハイドンのマイナーな交響曲の方が全然楽しめる印象。もしかして新古典主義の時代のストラヴィンスキーは、一生ピンと来ないかも知れません…(苦笑)。

 

 

 

と、気を取り直して、後半はベートーベンの英雄交響曲、いよいよ「映像ノット」です!ノットさんが映像(リアルではなく撮影済の映像)で指揮するとどんな演奏になるのか?とても楽しみです。ちなみに、舞台風景としては、こんな感じになります。

 

 

(写真)「映像ノット」の舞台風景。オケの前に大きなスクリーンが3面置かれ、ノットさんが映し出されます。

※東響のツイッターからお借りしました。

 

 

 

さて、その「映像ノット」による英雄交響曲ですが、一言で言うと、

 

 

「指揮」という行為の奥深さを存分に体感することのできた、非常に貴重な機会

 

 

でした。

 

 

 

実は正直に言うと、第3楽章までは、そこまで響かなかった演奏でした…(ごめんなさい!)。第1楽章は速いテンポの英雄が多い昨今、中庸なテンポで、主題の最後のジャンジャンをたっぷり目に入れる、どこか懐かしい演奏だな~と思いながら聴き始めました。

 

東響は映像による指揮者でも、素晴らしい演奏!これはいつもの東響と変わりません。しかし、なぜか感動するまでには至らない、そこまでワクワクしない演奏です?

 

う~ん、演奏自体はとてもいいのですが、何かが違う、何かが足りない。オケが時々、おっとり刀で入ったり、音を置きに行ったりしている印象も持ちました。そして、特に長いフレーズを弾く時に感じたのは、抑揚だったりニュアンスだったり変化がなく、単調に感じる場面がしばしばありました。

 

 

 

これは一つは、やはり映像による指揮の限界なのかな?と思いました。映像だといつもと指揮者の見え方が異なるので、オケは合わせることにより慎重になったり、力点を置いたりしていたのではないでしょうか?窮屈に演奏している雰囲気を感じた場面もありました。

 

逆に指揮者のいなかった前半のストラヴィンスキーの方がよく合っていたし、溌剌とした演奏だったように思います。もしかすると、英雄も指揮者なしで演奏した方がいいのかも知れない?とまで思いました。

 

 

 

そしてもう一つは、指揮によるニュアンスの伝達の制約。よく指揮者は右手で拍を、左手でニュアンスを伝えると聞きますが、3次元の左手とは異なり、おそらく2次元の左手ではニュアンスが十分伝え切れないのでしょう。また、双方向でないので(録画による映像)、ノットさんが東響の音を聴きながら、瞬時に音の強弱を調整したり、ニュアンスを変えることもできません。

 

 

 

そして最も思ったのが、映像による制約以上に、

 

 

「全く同じ指揮の映像」を、リハーサルを含め何度も見てきていること

 

 

これがワクワクしない最大の理由ではないか?と感じました。私の聴いた公演は3回目の本番です。何度も全く同じ映像を、この先の指揮のテンポや表現が変わらないことが分かっている映像を見てきていると、慣れが生じて先が読めてしまい、どうしても予定調和の音楽になってしまう、それが一番の原因ではないか?と感じました。

 

 

往年の名指揮者は、この点で、大変興味深い言葉を残しています。かのヴィルヘルム・フルトヴェングラーは、実演の際にコンサートホールで得られる感情を大切にして、毎回のように違う指揮だったことで知られていますが、オーケストラに「あなたたちがこの曲を百回も二百回も演奏していることを聴衆に気付かせてはいけない」と言っていたそうです。

 

 

そして練習嫌いでリハーサルをほとんどしなかった(笑)指揮者として有名なハンス・クナッパーツプッシュは、「リハーサルをやると、自分の手の内がオーケストラに事前に分ってしまう」と言っています。指揮のタイプこそ違いますが、私は今回の「映像ノット」の演奏を聴いて、この往年の2人の巨匠の言葉を思い出しました。

 

 

 

などと、つらつら思いながら聴いていましたが、これが第4楽章になって一変しました!テンポを大きく揺らして、ダイナミックで活き活きした演奏に変貌したんです!これですよ、これ!感動的なベートーベン!最後の方なんか、うわっ!ここでこう来るか!とまで思ったエグいテンポの変化!何というスリリングさ!大いに惹き付けられた第4楽章でした!

 

 

一体、第4楽章で何があったのでしょうか?もしかすると、これはノットさんの「解釈」や「意図」だったのかも知れません。第4楽章はバレエ音楽「プロメテウスの創造物」の旋律が使われ、人間賛歌の音楽として知られています。コロナ禍において、映像での指揮を余儀なくされる中、その制約を乗り越えて、コロナに打ち克つ人類の希望を伝えた。そんなノットさんの力強いメッセージだったように私は感じました。

 

 

 

とまあ、いつも以上に長~い感想になりましたが(笑)、「映像ノット」、とても珍しい機会を楽しんで、「指揮」というものに対する考えをいろいろ巡らせることができ、最後には大いに感動した、非常に貴重な機会でした!

 

正直、最初から大成功!とまでは行かなかったかも知れません。可能性と課題の両面を感じた演奏でした。でも、東響のこういうチャレンジングな姿勢は大好きですし、心の底から尊敬します。そうです、(今回は決して失敗ではないですが)チャレンジや失敗がなければ、大成功もありません!

 

 

 

最後に、プログラムに書かれていた、今回の「映像ノット」実現までのノットさんと事務局とのやりとりで、印象的だった言葉を以下にご紹介します。困難を乗り越えようとする人間の不屈の闘志。これはベートーベンの音楽と同じで、極めて感動的な読み物でした。「映像ノット」、関係者のみなさまのご努力に大いに敬意を表させていただきます!また聴きに行きます!

 

 

 

(以下、プログラムから抜粋)

 

 

(リモート指揮による演奏についてノットさん)

「ベートーベンが第九を自ら指揮した時、彼は既に耳が聞こえなかった。ブラボーの声にも気づくことなく、歌手に言われて初めて聴衆に振り返った。私はやれると思う。」

 

(リモート指揮に対して水谷コンマス)

「(中略)監督は細かいところまで徹底的にリハーサルしておいて、いつも本番は全く違うことを指揮して壊しに来る。空中分解するかも知れないギリギリを楽しみます。Take a riskですよ。」

 

(5月にあれこれブレストした際のノットさんの言葉)

「Never let a good crisis go to waste(良き危機を無駄にするな)」

※第二次世界大戦後の復興の際にチャーチルが残した名言

 

(以前に聞いたノットさんの言葉)

「こんな素晴らしいベートーベンをこの愛するオーケストラと演奏できたのだから、今すぐ死んだとしても一切悔いはない。」