ユベール・スダーンさんと東響の幸せのモーツァルト・マチネで心はもうウキウキですが、その後、ダブルヘッダーでもう一つ、モーツァルトの幸せなイベントが待っていました!大野和士さんを新芸術監督に迎えた新国立劇場の開幕公演、モーツァルト/魔笛です!

 

 

新国立劇場

モーツァルト/魔笛

 

指揮:ローラント・ベーア

演出:ウィリアム・ケントリッジ

演出補:リュック・ド・ヴィット

美術:ウィリアム・ケントリッジ/ザビーネ・トイニッセン

衣裳:グレタ・ゴアリス

照明:ジェニファー・ティプトン

プロジェクション/キャサリン・メイバーグ

映像オペレーター:キム・ガニング

照明監修:スコット・ボルマン

 

ザラストロ:サヴァ・ヴェミッチ

タミーノ:スティーヴ・ダヴィスリム

弁者・僧侶Ⅰ・武士Ⅱ:成田 眞

僧侶Ⅱ・武士Ⅰ:秋谷 直之

夜の女王:安井 陽子

パミーナ:林 正子

侍女Ⅰ:増田 のり子

侍女Ⅱ:小泉 詠子

侍女Ⅲ:山下 牧子

童子Ⅰ:前川 依子

童子Ⅱ:野田 千恵子

童子Ⅲ:花房 英里子

パパゲーナ:九嶋 香奈枝

パパゲーノ:アンドレ・シュエン

モノスタトス:升島 唯博

 

合唱:新国立劇場合唱団

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

ピアノ/ジュ・ド・タンブル:小埜寺 美樹

 

 

 

この公演はただでさえ、大野和士さんが芸術監督になって新シーズンの開幕公演、ということで楽しみですが、注目は何と言っても、演出のウィリアム・ケントリッジさんです。

 

私は昨年夏のザルツブルク音楽祭でケントリッジさん演出のベルク/ヴォツェックを観て、これまでの数多くのオペラの観劇人生の中で、最高の公演を観たのではないか?と思えるくらいに突き抜ける感激・感動を覚えました。ケントリッジさんが魔笛の世界をどのように描くのか。その一点を注目して観に行きました。

 

(参考)2017.8.17 アルバン・ベルク/ヴォツェック(ザルツブルク音楽祭)

https://ameblo.jp/franz2013/entry-12317871044.html

※魔笛のプログラムの30ページに、この時の舞台が載っていました。

 

 

 

さて、感想ですが、一言で言うと、

 

さすがケントリッジ・ワールド!非常に楽しめた&考えさせられた公演!

大野和士新芸術監督、幸先の良い船出!

 

具体的な感想の原稿も既に作成済みですが、訳あってアップするのは本公演の最終日10月14日(日)の後にしようと思います(本記事に追記予定)。みなさま、ぜひ生の舞台をご覧いただければと思います。どうかお楽しみに!

 

 

ところで、この日の公演は、高校生が大勢観に来ていました。私はこういうのは大歓迎!これからの若い人たちに、こういう感性を揺さぶられるような舞台を観て、大いに刺激されて、感受性の豊かな大人になってほしい、オペラのファンになってほしい、人生を楽しんでほしい。心から思います。

 

 

 

 

 

(10月14日(日)追記)

さて、10月6日(土)に舞台を観た段階では、記事のアップは上記の通り、ほんの一部にしました。最終日14日(日)の公演が終わったので、その時の感想を以下の通り、アップできればと思います。

 

 

 

第1幕。序曲に合わせて、スクリーンに映像が映し出されます。繰り返し光の帯が出てきて、それが最後は点になります。光(波動)と光子。物事の2面性を暗示しているかのようです。望遠鏡、マン・レイのレディ・メイドの代表作「破壊されざるオブジェ」(メトロノームの振り子に目が付いている作品)、宇宙物理学を思わせる映像が出てきて、非常に印象的な序曲のシーンでした。

 

序曲が終わり、舞台はアルブレヒト・デューラーの版画のような、中央にギリシャ風の建物、両脇に険しい崖の風景です。大蛇はスクリーンに人の手がクネクネ出てきて、大蛇でなく人間こそが危険な存在、と言いたげな様子。増田のり子さん、小泉詠子さん、山下牧子さんによる3人の侍女の強力な歌が聴き応え十分でした。

 

パパゲーノの歌は、小鳥が魔法のように出てくる映像が付いてとても可愛い。しかし、小鳥は檻の中で自由がない状況も描きます。パパゲーノのアンドレ・シュエンさんは歌と縦笛の両方を受け持って、息がなかなか大変そうでしたが、最後の縦笛は逆にレドシラソ♪と降りて可愛い終わり方!

 

タミーノの歌はスティーヴ・ダヴィスリムさん、夜の女王のアリアは安井陽子さんが見事に決めていました。モノスタトスがパミーナに迫る場面は、映写機のパチパチする音をオケが出して、舞台の幕に影絵を映していたのが印象的。

 

パパゲーノとパミーナが男女の歌を歌う場面では、背景に地球と月の2つの星の映像が付きます。2つの星がいろいろ動きながら展開して、最後重なるとそれを細胞に見立てて、中で胚が鼓動し始めるのが感動的!このパパゲーノとパミーナの2重唱のシーンは2006年のシュトゥットガルト歌劇場の来日公演でのペーター・コンヴィチュニー演出でも、印象的な演出が付いていましたが、魔笛の見どころの1つです。

 

タミーノが魔笛を吹くシーン。映像の演出なので、どんな風に楽しくやるのかな?と思っていたら、サイが1匹出てきました。サイは逆立ちしたり、でんぐり返しをしたりして楽しい!しかし、最後は縄で捕らえられてしまいました…。

 

そして、まだタミーノの歌が続いているのに、他の動物も出てきません?ほとんど映像の機材のトラブルではないか?と思ってしまうほど。「あれ~?どうして出てこないのかな?」とその時は思いましたが、要するにこれは、人間が野生動物を捕りすぎて、動物がいなくなってしまったことを表わしていたんだと思いました。

 

パパゲーノのグロッケンシュピールのシーンは、背景の映像が、人間の滑稽な動きで楽しいですが、これはさきほどのサイのシーンとシンクロして、モノスタトスたち人間を奴隷として、見世物のように滑稽に扱っているもの、と思いました。モノスタトスの升島唯博さんも小柄な方でしたが、背景の映像の人間も小柄。アフリカの原住民を示しているものと思いました。

 

最後のザラストロのシーンでは、ザラストロを称える群衆が着飾った人びとであることが印象的。やはり身分の違いを想起させました。

 

 

 

いや~、第1幕からいろいろぶっ込んで来た、という感じの演出!ザルツブルク音楽祭のベルク/ヴォツェックが表現主義の映像をこれでもか!と使ってきたので、逆に魔笛はメルヘンの映像一色で来るのかな?とも思いましたが、いい意味で期待を裏切ってくれました。第2幕が楽しみです!

 

 

 

第2幕。序曲では物理学の背景。「叡智が欲しいか?」に対して、「可愛い娘がいれば十分」といつものパパゲーノ先生の正論きた~!(笑) そして、「女がいなけりゃ、灼熱地獄だ」と、今日はモノスタトス先生の正論もきた~!(笑)

 

と面白おかしく言っていますが、実はこれ、ダメンズの素朴な心情の吐露、ということと一見思わせて、第2幕冒頭のザラストロと仲間たちのシーン、つまりは男性だけの組織のシーンに対する痛烈な皮肉を言っているものと捉えることもできるかなと思いました。

 

夜の女王のアリアは背景の映像と相まってスペクタクル。そしてパミーナとモノスタトスとのシーンを経て、サヴァ・ヴェミッチさんのザラストロがパミーナに歌うアリア「この神聖な聖堂には」。何と!ザラストロが歌う背景のスクリーンでは、第1幕ではアニメでユーモラスに出てきたサイが、人間に猟銃で殺される実写の映像が付きました!これは一体?

 

歌詞にもある通り、ザラストロのアリア「この神聖な聖堂には」では、「この聖なる聖堂には復習を思う人はいない」「人は人を愛し」「誰もが敵を許すのだ」などザラストロが、この聖堂(組織)の立派な理念を歌うシーンです。昨年のバイエルン国立歌劇場の公演では、この歌詞に呼応して、ラストの戴冠のシーンで、赦しを得た夜の女王たちも参列していた感動のシーンがありました。

 

その歌の背景にサイを殺す映像を流していたのは、その立派な理念を言葉にしながら、やっていることは酷いこと。と、理念と行動のギャップをあぶり出す、非常に印象的なシーンです。今回の演出の肝のシーンだと思いました。

 

その後のパミーナのアリアは林正子さんがしみじみ聴かせました。自身の悲しみを嘆きますが、それはすなわち組織の仕打ちがいかに酷いかの裏返しです。

 

パパゲーノの恋人を思うチャーミングな歌は、背景に鳥が出てきて恋人への憧れを示します。パパパの歌は3人の童たちが持ち出す黒板に鳥の恋人の映像。卵が割れて沢山の小鳥が飛び出す楽しいシーン。ここら辺りが、一番人間的なシーンとして描かれていました。

 

そして、ラス前の夜の女王と3人の侍女とモノスタトスのシーン。ここは通常だと、この5人が地獄に落ちるシーンとなりますが、何と!モノスタトスが聖堂を打つしぐさが入ると、スクリーンに神殿が崩れ落ちる映像が付きました!

 

そして、ラストのシーン。聖堂の崩壊を受けてか、ザラストロに今までの威厳はなく、ふらつきながら弱々しく出てきました!そして、タミーノとパミーナがザラストロの地位を引き継ぐシーンで終わりました。

 

 

 

いや~!あざやかなラスト!サイを殺す映像のシーンからラストの流れは、ザラストロの組織の矛盾や欺瞞を見せて、その組織の崩壊(革命とすら言ってもいいかも)、タミーノとパミーナによる新しい組織の始まりを表わして見事でした!

 

そもそも魔笛のシナリオには、第1幕と第2幕の矛盾があり、必ずしもザラストロ=正義で終わる演出ではなく、前出のペーター・コンヴィチュニー演出ではザラストロを全体主義国家のトップとして描いたり、以前に観たウィーン国立歌劇場のマルコ・アルトゥーロ・マレッリ演出では、教団ではなく音楽の勝利として描いたり、いろいろな可能性を秘めています。今回の演出も「こう来たか!」と、魔笛への新しい見方をもたらしてくれた、とても印象的なものでした。

 

 

そもそも、魔笛には女性蔑視に当たる歌詞が何度か出てきます。そして、あまり意識されていませんが、魔笛はオシリスにイシス、古代エジプトが舞台のオペラです。タミーノが魔笛を吹くシーンでゴリラやオラウータンが出てくる演出がよくありますが、同じアフリカのサイが出てきても何ら違和感はありません。

 

演出家のウィリアム・ケントリッジさんは、オペラの演出のオファーを受けてから慎重に検討した上で断ったり、受けてからも2年間かけて準備したり、周到に用意をされる方です。私は今回の演出は決して独りよがりや思い付きの解釈ではなく、女性蔑視に当たる歌詞やアフリカ及び人類の歴史も踏まえて周到に用意された、しかもメッセージ性に溢れる、卓抜な演出だと思いました。

 

 

 

そして、今回は大野和士芸術監督になって新シーズンの開幕公演です。その開幕公演に、このウィリアム・ケントリッジさん演出の魔笛を持ってきた、これはどういう意味があるのでしょう?

 

新国立劇場にはもともと、ミヒャエル・ハンペさん演出による魔笛がありました。これはオーソドックスで非常に素晴らしい演出。私も何度か観て感動した名舞台です。それを敢えて、ウィリアム・ケントリッジさん演出の魔笛に差し替えた。これはそもそも2005年のブリュッセルのモネ劇場が初演の演出。つまり、大野さんが音楽監督をしていた時のモネ劇場の演出を、(今回のために変えたところもあったようですが)持ってきた、ということになります。

 

それは、新国立劇場ができて20年経って、そろそろオーソドックスな路線から転換してみてはどうか?それも奇抜一辺倒な演出ではなく、斬新さと説得力とメッセージ性が上手く融合した、なるほど!と唸るような新しい演出のオペラを楽しんで行くのはどうか?そういう意思表示だと感じました。私は大歓迎です!

 

 

国立劇場である新国立劇場には、藤原歌劇団や東京二期会などが取り上げにくい、珍しいでも価値の高い作品や、オーソドックスで常識的な解釈だけの演出でなく、芸術性が高かったり、作品の新しい面を見せてくれるような、(あまりに先進的でチンプンカンプンにならない程度で)きらりと光る斬新な演出でのオペラの上演を期待します。

 

そもそも、できた当初はともかく、20年経って、国立劇場がオーソドックスな演出ばかり続ける意味や価値はないと思います。オーソドックスな演出のオペラが観たければ、藤原歌劇団を観に行けば幸せが約束されていますし、海外の来日公演もいろいろあります。今年6月のバーリ歌劇場は素晴らしかったですし、先月のローマ歌劇場の来日公演も好調だったと聞きました。オペラを観るのに近い感覚で楽しめるMETのライブビューイングも一案です。

 

 

ヨーロッパのオペラハウスや夏の音楽祭で実際にオペラをいろいろ観て実感するのは、世界のオペラハウスや音楽祭の演出はどんどん進化してきている、ということです。東京が取り残されないか、東京の「聴衆」が取り残されないか、東京がクリエイティヴでクールな都市として生き残れるのか、かなり危機感を持っています。

 

新国立劇場には、唯一の国立劇場として、ぜひ東京のオペラシーンを引っ張っていくことを期待していますし、引き続き心から応援しています!幸い、私の周りで今回の魔笛を観た人たちに話を聞くと、好印象の人が多かったです。感受性の豊かな若い人たちにオペラを好きになってほしいとも思います。新しく大野芸術監督を迎えた新国立劇場に大いに期待します!