ワーグナーで一番好きな作品はパルジファル。初演の地バイロイトで観る、という長年の夢。叶う瞬間が遂にやってまいりました!指揮・演出・歌手は以下の通りです。

 

  

BAYREUTHER FESTSPIELE 2017

PARSIFAL

 

Musikalische Leitung: Hartmut Haenchen

Inszenierung: Uwe Eric Laufenberg

 

Amfortas: Ryan McKinny

Titurel: Karl-Heinz Lehner

Gurnemanz: Georg Zeppenfeld

Parsifal: Andreas Schager

Klingsor: Werner Van Mechelen

Kundry: Elena Pankratova

1. Gralsritter: Tansel Akzeybek

2. Gralsritter: Timo Riihonen

1. Knappe: Alexandra Steiner

2. Knappe: Mareike Morr

3. Knappe: Paul Kaufmann

4. Knappe: Stefan Heibach

Klingsors ZauberMaedchen:

  Netta Or

  Katharina Persicke

  Mareike Morr

  Alexandra Steiner

  Bele Kumberger

  Sophie Rennert

Eine Altstimme: Wiebke Lemkuhl

 

Das Festspielorchester

Der Festspielchor

 

 

 

(写真)バイロイト祝祭劇場

 

 

大好きなパルジファル、感想は長~くなるので最初にまとめると、指揮者・オケ・歌手・演出、揃いも揃って、最高の公演でした!!特に、新日フィルへの客演でおなじみのハルトムート・ヘンヒェンさんの正統的かつ骨太の、スケールの大きな指揮が最高!中東での出来事や宗教の題材を正面から果敢に取り上げたウヴェ・エリック・ラウフェンベルクさんの演出も非常に感慨深く、歌手はグルネマンツのゲオルグ・ツェッペンフェルトさん、パルジファルのアンドレアス・シャーガーさん、クンドリのエレーナ・パンクラトヴァさんを始めみな充実の歌と、極めて感動的な公演でした!以下、各幕の感想です。(長文ごめんなさいです。)

 

※なお、私は観劇に当たって先入観を持ちたくないので、このバイロイト音楽祭のパルジファルの公演に関するレポートや感想の類の情報を、一切見ていません。的外れな感想があるかもですが、そこはシロウトのブログゆえ、ご容赦いただければ幸いです。

 

 

 

第1幕。まずは前奏曲。くゆらすような響き、繊細ですべての音がクリアに聴こえます。これがこの劇場のために書かれた音楽の響きかと思うと陶然となりました!舞台は戦争で壁の一部が壊れた教会。沢山の難民がベッドに寝ていて、その内の一人が光に手を差し伸べて、物語が始まります。グルネマンツは頭にユダヤ教を示唆するとおぼしき帽子を被っています。クンドリは全身黒のブルカでアラブの女性、イスラム教徒。アンフォルタスの水浴は痛々しいというよりは、神々しいまでの美しさ、肉体美です。

 

パルジファル登場のシーン。まず赤い上着の男の子が出てきますが、狙撃され倒れてしまいます…。抱き抱えるクンドリ。そこに白鳥とボウガンを持ったパルジファルが捕まえられて登場、まるで誤認逮捕のよう。戦争時の混乱、そして救済者の偶然による出現を示しているかのようです。共苦の主題のところでは、聖杯の音楽辺りから人びとがひざまずいて祈り始め、グルネマンツが十字架を包むような動作で歌っていたのが印象的。

 

「ここでは時間が空間になるのだ」から始まる場面転換の音楽は、アンフォルタスが水浴した大きな聖杯を映す映像が空に向かって引いていき、教会から宇宙空間に達し、木星、太陽、星雲と続いていくスケールの大きな映像!最初、場所の設定は3つの宗教が混在するエルサレムの教会かと思いましたが、宇宙空間から帰ってきたのはシリアの内陸かイラク辺りだったので、その辺りの教会になると思います。

 

アンフォルタスは全身傷だらけで嘆きますが、一見、わき腹などに大きな怪我はないようにも見えます。そしてアンフォルタスの嘆きに対して、第3幕を待たずに既に共感しているように見えるパルジファル。すると…、何と!アンフォルタスが修道士にナイフで刺され、その血を聖杯で受け取り、ティトレルを先頭にみなで回し飲みを始めました!首を大きく振るパルジファル。最後、パルジファルを「今度は鵞鳥にしろ」と追い出したグルネマンツでしたが、共苦の主題が流れるとハッと気付き、パルジファルを追いますが後のまつり。グルネマンツが首を振って幕になりました。

 

もう何もかもが素晴らし過ぎる、何か凄いものを観た第1幕でした!指揮もオケも歌も最高!特にゲオルグ・ツェッペンフェルトさんのグルネマンツが素晴らしい!演出は宗教行事の残忍性、それを苦にするアンフォルタス、そのことを既にこの時点で共感していたパルジファルがポイントだと思いました。

 

 

 

第2幕が始まる前に、隣の席のミュンヘン在住のドイツ人のマダムと意見交換。「3時間でミュンヘンに帰ることもできるけど、バイロイトの静かな雰囲気が好き。今日はここに泊まるのよ。」とおっしゃっていました。バイエルン国立歌劇場を擁するミュンヘンに住むドイツ人にとっても、ここバイロイトはワーグナー観劇に当たり、特別な場所のようです。

 

 

第2幕。アラブの装飾の部屋。ただ造りは1幕によく似ています(1幕の教会の前身が、この2幕の建物なのかも知れません)。前奏曲が始まると、クンドリの大切な人(兄弟あるいは恋人?)が縛られ、2階に連れて行かれました。人質が故にクリングゾールの命令に従わざるを得ない、ということでしょうか?でも、その人質、顔付きがアンフォルタスに似ていたような気も?

 

クリングゾールは2つの方角に向けてイスラムのお祈りをしようとしますが、上手くできずに首を振ります。その後、隠していた沢山の十字架のある部屋を見せるので、キリスト教に救われず、イスラム教にも馴染めない、アウトサイダーのクリングゾールを描いているようです。クリングゾールとクンドリのやり取りでは、十字架を男性のあそこに見立てた上で、クンドリに揶揄されます。クリングゾールの苦悩はその辺りにあるのでしょうか?

 

パルジファルは戦闘服姿で登場。タリバンやISS掃討作戦の兵士のようです。したらば、クリングゾールはISSに志願した西側の人間でしょうか?花の乙女たちは6人でなく、30人くらいの合唱!最初はイスラムの黒のブルカ姿ですが、誘惑の場面では、ベリーダンスや優雅なアラブ風のドレス姿になりました。陶酔的でどこかエキゾチックな音楽によく合っています。パルジファルは花の乙女たちにだんだん服を脱がされ、パンツいっちょで浴槽に連れて行かれて、あ~、とうとうパンツも脱がされてしまいました(笑)。ここはややコミカルな演出ですが、本来の人間の自然な喜びや営みを敢えて見せているように思いました。

 

クンドリは黒のドレス、エレーナ・パンクラトヴァさん、ド迫力でパルジファルに迫ります。途中から舞台上にアンフォルタスも出て来ました!やっぱり2幕冒頭の人質はアンフォルタスだったようです。クンドリは赤ワインを口に含みパルジファルにキス。そしてパルジファルの「アンフォルタ~ス!」の叫び!赤ワインによって1幕の血の儀式を思い出したかのようです。1幕の水浴と2幕の浴槽のシーンの対比、さながらパルジファルがアンフォルタスの1幕の行為を追体験しているかのよう。この「アンフォルタ~ス!」からクンドリの「笑った」「呪いをかけてやる」辺りはアンドレアス・シャーガーさんもパンクラトヴァさんも極めて充実の歌。ヘンヒェンさんの指揮も煽る煽る、めちゃめちゃ聴き応えがありました!

 

クンドリの誘惑に呼応して、選手交代でアンフォルタスがクンドリと愛し合うシーンに。設定が設定だけに、どうしても映画「薔薇の名前」のアドソと村の娘のシーンを思い出さずにはいられません。それもあってか、決して聖職者の堕落ではなく、私にはとてもピュアなシーンに見えました。聖職者とは言え、とても人間的でプリミティヴな行為。あたかも宗教の戒律の非人道性を示しているかのようです。

 

その行為を見て激しく嘆くクリングゾール。何と!自分をムチ打ち始めました!これ、「薔薇の名前」のベレンガー副図書館長と同じでは?クリングゾールの悩みはおそらく、キリスト教でもイスラム教でも救いを得られない同性愛なんですね…。クリングゾールのヴェルナー・ファン・メヘレンさん、悩むシーンの多い今回の演出のクリングゾールを大変好演していました。

 

2幕最後はクリングゾールが槍でパルジファルを襲いますが、パルジファルはそれを取り上げ、何と!槍を2つに折ってしまいました!キリスト教的に大切な大切な槍。私の周りの席からは「チッ!」「シーット!」という怒りのつぶやきが聞こえてきました!パルジファルでは他の演出で、大事な聖杯を叩き割ってしまうスキャンダルだけを狙ったような避難轟々の演出があったとも聞きます。

 

「ああ、今まで大いに唸らされた、いい流れの演出だったのに、ここでご破算になってしまうのか?」と思ったその瞬間。何と!パルジファルは2つに折った槍で十字架を作り、クリングゾールや舞台全体を葬り去ったのです!

 

何という結末!もう震え上がるような感動と興奮を覚えました!!!拍手が終わった後、客席のあちこちから「クロス!」「ブラボー!」の声が聞かれました。この時点では、武器よりも強い、宗教(十字架)の力を見せつけた形の演出でした。

 

 

 

第3幕が始まる前に、再度、隣の席のドイツ人のマダムと意見交換。「実は明日○○へ行って、△△するんですよ~」と言ったら、大いにウケて、隣のご主人に話してご主人も大笑い。きっと「日本人は本当にアホだなあ(熱心だなあ)」という笑いだと受け取りました。詳細はまた後日の記事で。

 

 

第3幕。1幕に似た教会ですが、巨大な植物(バラの葉、葉肉の厚い植物)が教会中に侵入しています。グルネマンツもクンドリも老いていて、グルネマンツは歩くのが困難で車椅子に、クンドリは手がブルブル震えています。前奏曲のメリハリやくさび、ヘンヒェンさんとオケのもの凄い感情の込められた音楽です!

 

パルジファルは黒の覆面姿で登場。まるで何とかジョンのようですが、2幕最後の槍の十字架は守り切って持ち帰っています。クンドリがパルジファルの足を洗うシーン。クンドリはヴェールを取ると2幕までの黒髪が白髪になっていて、その白髪でパルジファルの足を拭き、パルジファルはクンドリの手を取って感謝をします。極めて美しいシーン。2幕での性愛的なやり取りの挫折を経て、歳を取っての真心と慈しみのやり取りに変わり、パルジファルは今回は受け入れます。歳を取ることは決して悪いことではない、そんなことを伝えているかのような感動的なシーンでした。

 

そしてその後の聖金曜日の音楽のシーン!植物がせり出し、より一層緑の空間に。そこに何と!2幕の花の乙女たちが普段着のような自然体の出で立ちで登場し、パルジファルやクンドリの手を取り、自然の息吹を喜び合います。1幕で狙撃されて亡くなった赤の上着の子供まで出て来ました。グルネマンツの掛け声で雨が降り、花の乙女たちが雨に打たれて喜び合うシーン。慈しむように奏でられる聖金曜日の音楽も相まって、非常に感動的!この辺りもう号泣でした…。

 

剰な宗教的イデオロギーや行為から脱し、人間本来の自然の中での営みに回帰する、その大切さを物語るシーン。私の今回の旅行も、エルトヴィレの薔薇を始め、花や草木に多く触れてきたので、大いに共感できました。花の乙女の何人かは服を脱ぎ、生まれたままの姿となり、雨水(あまみず)に打たれて喜びを表します。性的なものを微塵にも感じさせない、ピュアで非常に美しいシーンです。

 

この光景、最近似たような感動を覚えたシーンをどこかで観たなと思ったら…、ウエスト・サイド・ストーリーのサムウェアのシーンでした。正に人間本来の姿に立ち返る理想郷のようです。

 

場面転換の音楽は人の顔が水の流れに溶け込み流れていき、輪廻を感じさせるものでした。その後は音楽に合わせて大きな鐘が鳴る映像。人間の魂は永遠にして不滅であることを表しているかのようです。ヘンヒェンさん、鐘の音を大きくたっぷり雄大に鳴らします。1幕の場面転換の音楽は空間的な広がりをイメージさせますが、3幕は時間の永劫性を思い浮かべます。

 

アンフォルタスのライアン・マキニーさん、3幕終盤は深々とした声。1幕はやや抑え気味だったので、ここが重要な場面ということを示します。最後のシーンでは、キリスト教徒とユダヤ教徒(あるいは単なる市民だったかも知れません?)がいさかいを起こし、アンフォルタスが両者から一方的に責められる中、それをパルジファルが救済します。何と!せっかく苦労して持ち帰った2幕最後の槍で作った十字架を、また槍に戻した上でティトレルの柩に奉納してしまいました!

 

アンフォルタスも同様にロザリオを外して柩に入れ、修道士や民衆もそれに倣い、次々と十字架など宗教的なアイテムを柩に入れていきます。そして、舞台全体に霧がかかりつつ、光が輝く中(舞台を超えて、客席の両脇の7本のギリシア建築様式の柱まで光輝いていました!)、それまでグループに別れていたキリスト教徒とユダヤ教徒が交流し、お互い1人1人の人間として認め合う、そんな感動的なシーンで幕が降りました。

 

 

心の底から震えるような感動のラスト!聖金曜日の音楽のシーンにて先導したように、宗教的な制約や不合理さを取り払い、自然体で一人の人間に立ち返ろう、宗教的な立場から離れ、一人一人の人間としてお互いを尊重しよう、そんなヒューマンなメッセージに溢れる、感動のラストでした!ただし、決して宗教を否定していた訳ではなく、宗教の過剰な教義を排して、人間的な立場、立ち位置に戻ろう、そんなメッセージだと思いました。折しも今年はマルティン・ルターの宗教改革から500年の記念の年。今日の演出とルターの考えは、通底では同じものがあるのではと推量します。さらに、2幕で宗教に救いを得られなかったクリングゾールも、一人一人の人間として尊重されるラストであれば、きっと道が開けることでしょう。

 

 

「救いをもたらすものに救いを!」この舞台神聖祝典劇の最後の台詞に相応しい、大変意義深い感動の公演でした!!!いつの日か、ぜひともリピートして観たいです!

 

 

(写真)終演後の一杯。今宵はどんな銘柄でもいいので、ただただ赤ワインを飲みたい気分になりました。聖職者の犠牲ではなく、自然が作り出し人間の愛情が育んだこの一杯。いつにも増して、感謝の念を持っていただきました。