昨日の素晴らしいシューベルトの余韻の中、今日はウィーン・フィルをダブルヘッダーで聴きます。大のファンにはたまらない一日。まずはマチネのコンサート。指揮・演目は以下の通りです。


 Riccardo Muti, Dirigent
 Wiener Philharmoniker

 FRANZ SCHUBERT • Symphonie Nr. 4 c-Moll D 417, „Tragische“
 ANTON BRUCKNER • Symphonie Nr. 6 A-Dur


 1曲目はシューベルト/交響曲第4番ハ短調「悲劇的」。この曲は東京のクラシック音楽ファンはユベール・スダーン指揮/東京交響楽団の素晴らしい演奏を聴かれている方もいらっしゃると思います。私も2回聴きましたが、速めの小気味良いテンポで一気呵成に聴かせる、シューベルト・チクルスの白眉、正にこのコンビの18番とも言うべき完成度の極めて高い演奏でした。リッカルト・ムーティ指揮/ウィーン・フィルの強力なコンビとは言え、果たしてどうだろう?と思いましたが…全くの杞憂でした(笑)。

 ムーティさんの指揮はスダーンさんのように速めのテンポではなく、強弱やメリハリをダイナミックにつける訳でもありませんが、ウィーン・フィルの音色を十二分に活かしややゆっくり目のテンポで丁寧に進めて行きます。自然体で素直に曲の魅力が感じられるような演奏。2楽章途中、管から弦にとメロディが引き継がれていくところなど、ウィーン・フィルの音色に「何と美しい音楽だろう!」と感心することしきりでした。
 
 4楽章はスダーンさんの拍子を取る息遣いが客席まで届きそうなリズミカルな指揮が頼もしいですが、ムーティさんはここも自然体で堂々と進めて行くので、ウィーン・フィルの余裕を持った楽器間の掛け合いや息遣いに自然と耳が行きます。何か特別なことをやっている訳ではないのに、終わってみると「素晴らしい曲を聴いた!いい演奏だった!」と思うような、そんな名人芸の演奏でした。

 2曲目はブルックナー/交響曲第6番イ長調。シューベルトにブルックナーとは本当に心憎いばかりのプログラムです。ブルックナーもムーティさんの基本的なスタンスは変わりませんが、シューベルトに比べるとより強弱のメリハリをつけている感じで、指揮者の主体的な意図を感じます。

 それにしても、ウィーン・フィルで聴くブルックナーは本当に素晴らしい。この6番の場合、直線的な旋律が多く(特に4楽章)、自然にスッと耳に入るというよりは、「どうしてこんな旋律にしたんだろう?」とやや違和感を感じながら聴く部分がない訳でもないように思いますが、これがウィーン・フィルだとその旋律が一番自然な形だと説得力を持って、さりとて押しつけがましくなくスッと入ってきます。1楽章の最後に主題が返って盛り上がる前に、弦をバックに金管が輝かしく音を奏で、山間の谷の隠された泉とでも言うような神秘的な場面があり、ここは私の大好きなところなのですが、ウィーン・フィルで聴くと得も言えぬほど美しく、感動に打ち震えました!

 2楽章のアダージョはとても深い世界。ブルックナーが好きな人には堪えられない楽章ですが、音楽の深さを感じたり、何か複雑な音の組み合わせで難しい音楽を書いているということを実感するのではなく、素直に音の美しさを感じることができ、自然に書かれた音楽という印象を受けます。3楽章は金管が活躍しますが、突出してうるさく感じないのはさすが。4楽章はこの6番の中で一番弱いと指摘されている楽章ですが、ここもあくまで自然体でこうあるべき、こういう音楽なんですよ、と耳に聴こえてきます。フィナーレもよく言われる大伽藍ではなく、素直に自然体で、でも輝かしく終わりました。

 これまでムーティさんにブルックナー指揮者のイメージはありませんでしたが、このような素晴らしいブルックナーを聴くと、他の曲もぜひとも聴いてみたくなります。本当に純粋で自然体、ブルックナーとウィーン・フィルの美感を120%活かした名演だったと思います。



(写真)ブルックナーを聴く日には大聖堂を訪れたくなるもの


(写真)もちろんモーツァルトにも挨拶を