まぁ、どうせ誰も見ていないことだし、自由にかいちゃうぞ![]()
まず沙織(私)の今の状況整理からよろしく
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小学生のときからカトリックのシスターに憧れ?(というより、使命感)をもって、堅実に生きてきたつもりだったんだよね。
でも、それはいろんな意味で成長しきれてない私にはそんな使命感は単なる勘違いだったのかもしれない。
若い時って無償に何かに没頭したくなるときってあるよね?
私はまだその当時は考えも何もがまだ子供で、若い情熱みたいなものをもってたから、純粋にシスターの生き方に単純に敬意と希望を感じていてその世界に足を踏み入れた。
て、シスターって何?って感じかなあ。。。
じゃあまずはカトリックについて。(これ面白くないな...まぁいいや)
まずカトリックってのはキリスト教でも特に信じてる人が多い教派?っていうのかな。
まず人間の存在についてどう考えるか。
人間も含めてこの世界は神様の力によってつくられた。そして、聖書にこんな話が出てくる。『アダムとエバ』のお話。
アダムとエバは神様がつくった最初の男と女。この世ができる前には、神様がつくった楽園にいました。
その楽園は本当の弱肉強食も争いも何もない、永遠の命さえある幸せな世界だった。但しそこに永遠に住むためには神様との約束を守る必要があった。
それは園の中央にある木の実だけは決して食べてはならない、というもの。
しかし、あるとき蛇の形をした悪魔がエバにこうささやくのです。「お前も神様のように賢く、この世界のことをもっと分かるようになりたいだろう。なりたければ、園の中央にある木の実を食べるがいい。」と...。
そして誘惑に負けたエバはその実を食べ、アダムにも勧めアダムもその実を食べたのです。すると、みるみる知恵がつき、自分たちが裸同士でいるとこを恥るようになり葉で体を覆うようになった。
この光景を見た神様は怒りを覚え楽園から二人を追放した。そして二人は私たちが住むこの世に落とされたのです。この世は動物たちが互いに殺し合い、始めと終わり(生死)が存在し、食べ物を自分たちで探し求めなければならない、とても過酷な世界でした。しかし、いくら神様に乞うてもそれを許してはもらえることはなかった。
そしてこの約束を破ったという罪は人間が犯した最初の罪となり、二人が犯した罪の血は私たちにも受け継がれている。
と、ここまでが罪の時代の話。
そして今から約2011年前から....罪からの解放の時代が動き出す。
それがキリスト(救世主)の誕生。
イエス(神は救われるという意味)と呼ばれたその人(キリスト)は、無原罪(生まれてから罪を行ったことのない特別な人)のマリアが神様によって授かった子であり、天使から生まれる前に「神の子」としてお告げを受けた子ども。つまり神様が自ら人となってこの世に生まれ、人間の模範として生きるために、人の罪(アダムとエバから始まった罪)を自らが人となって償うために生まれてきたのだ。
そしてこれを愛の教えとしてキリスト教を広め、最期には無実の罪で十字架に架けられ、自らの体・血・精神すべてを人間の罪の償いとして神に捧げて死に、三日目には復活し天に昇ったとされている。
また、この愛の教えは今、宗教の壁を越え、互いに愛し合いなさい、自分を愛するように隣人をも愛しなさい、という教えに基づいて、キリスト教信者でなくても人間に神は惠(ここでは知恵や愛)を平等に分け与えられていると考え、愛があるところには神がいると考え、愛にあふれる世界こそが神の国(天国)への近道だと教えているのです。
これが私が解釈するキリスト教カトリックです。
神父様やシスター・ブラザーと呼ばれる人たちは、そのイエスが生きた人間の模範に従って自分も忠実に生きていくことを誓い、人生を捧げている方々をいいます。
ふー。随分みっしり書いてしまったなあ。
ま、誰も読まないしーーww
でゎでゎ次は自分のこと書くとこを予定しておきまあす♪
