検索アプリによると、、


「余白」は文章などで余った白い部分をいい、
日本画などでは
空間の遠さや広さをいうそうです。

「余韻」は楽器などの後に残る響き(サスティン)、
音が消えた後になお耳に残る味わいとのこと。

「間」は空間の広さの他に、可能性に満ちた空虚さをいうようです。

「残心」は次への心身の構えを行動後にも残す事との事。

これらの日本語の
「残り、つながりとしての隙間の概念」
は、わびさびのように
観念的・美的な表現のひとつといえます。
つまりは
余白は視覚的、
余韻は聴覚的、
間は時間的な隙間を指していて、
総じて
「目的のある空間の流れの過程」
と捉える事ができます。

祭りなどの繰り返される季節行事も
参加する人の、
参加しうる目的のある限りは
目的のある空間の流れの過程
と捉える事が出来るわけです。

世の中が大変になり、
各地の祭りが開催されない
流れになっておりますが

祭りの無いもの悲しさを含め
「終了」でなく「間」
であって欲しいと思います。

僕らお囃子プレイヤーは

開催された時に

求められるレベルの演奏を
いつでも対応出来る
「残心」の心構えで
いる方が前向きですね。