※本日7/31、知立市議選挙の告示日を迎えました。
立候補届出締切時刻である本日17時までに届出したのは20陣営で、議員定数(20人)を超えなかったため、無投票の告示がなされ、本日限りで選挙運動は終了しました。
以前から想定されていたこととはいえ、立候補者の政策や主張の違いを比較検討する機会が損なわれたことは残念です。
(知立市長選挙に続いて無投票であり、選挙公報は配布されず。)
当選はあくまで、政策目的を実現するための過程に過ぎません。
当選者各人には、市議会議員になろうと考えた理由を顧みて、目指す知立市像や為すべき政策の実現に向けて、「お金がない」が決まり文句の市長と喧々諤々の議論を展開し、前例踏襲型の事なかれ主義による弥縫策から脱却させ、他市に劣る知立市の各種施策を他市並みにすることはもちろんのこと、独自の制度の創設や施策の充実をスタートダッシュで市行政に促すよう切望します。
さて、既に無投票が想定されていたことから、実は告示前から、当選後の各議員による会派の構成について、多人数化の調整が水面下で図られてきました。
今回の市議選挙を機に引退される人数を各会派の構成人数から差し引くと、残員数は各会派ともに拮抗してくるため、規模を拡大したい会派の思惑が渦巻き、合併による多人数化が画策されてきたわけです。
また、同じ目的によって、新人議員の会派への加入勧誘も行われつつあります。
会派の構成とは本来、政治理念などの思想・信条や首長に対する向き合い方が同じであることを前提とした政策集団であるものですが、実のところ、議長や委員長ポストを獲得するための多人数化が構成の目的とすれば、本末転倒との誹りを免れません。
以前、立候補届出時の「所属政党証明書」に関して、「〇〇党」に所属しているにもかかわらず、証明書に「無所属」を謳って政党所属を隠し、〇〇党支持者以外からの得票も広く狙うという立候補者の実態を指摘しましたが、他方で当選後の会派の構成に当たっては、所属政党である「〇〇党」の党籍を根拠に会派が構成されるのが一般的です。
一方、知立市議会の例で見るに、立志会の場合、かつて自民党市議のみで1つの会派を構成していた市政会(が、反・市長から親・市長に翻った経緯)から(反・市長を主な理由として)離脱して別会派として構成したケースがあり、当時、理念の違いで構成を異にすることは潔しとして一定の評価を得ました。
他方、今回の選挙を契機に、立志会が再び市政会と合併する動きが顕著とあらば、この間の変質ぶり(反・市長から親・市長に翻った理由など)について明確な説明が求められます。
(その他の会派においても、再構成の動きに伴って有権者に対して説明を尽くすのは当たり前のこと。)
会派の構成に当たっては、とりわけても新人議員には、加えて、現職議員には尚のこと、「寄らば大樹の陰」か、「鶏口となるも牛後となるなかれ」か、議員一人一人が自ら成し得ようとする政策理念を念頭に、良識と勇気ある選択を期待したいと思います。
*7/26 安全・安心対策特別委員会
(愛知県公共施設等総合管理計画等について、建設局、企業庁、都市・交通局、農林基盤局から説明のあったのち、質疑を行いました。
私からは、インフラ施設の長寿命化対策について、インフラ資産(工作物および建物)の維持・更新にあたって、事後保全型の維持管理から予防保全型の維持管理に切り替えることにより、年平均175億円のコスト縮減が可能となることは良しとして、予防保全型の維持管理を実施するにしても年平均770億円の費用が必要であり、現在の予算規模の年平均713億円を上回っていることに関して、年約700億円では必要最低限の維持管理しか行えず、継続的な予算確保と増額が必要であること、今後さらに新設インフラの維持管理費用が上積みされることから、既存インフラとの置換えが必要であることを進言しました)
*7/28 産業労働委員会
(①アイシン学園、②西尾次世代産業地区を視察しました。
まず、①アイシン学園は、実は知立市上重原町に立地しています。
全国各地から高校を卒業した生徒が入社し、約1か年を掛けて、技術・技能の習得と、人身の訓練を行っているそうです。
社会人として良い影響を周りに与えられているかを常に自問できる人材育成を心掛けているとのことであり、廊下で気持ちよく元気よく挨拶できる生徒の皆さんはその通りの好青年ばかりでした。
堅実な人間性の持ち主であればこそ、時代の難局に逃げることなく立ち向かい、解決の道を辿ることができると実感しました。
次に、②西尾次世代産業地区は、デンソー善明製作所の隣接地を、愛知県企業庁が株式会社デンソーからのオーダーメイドで用地造成を担っています。
自動車産業は100年に1度の大変革期の中にあり、次世代自動車分野では熾烈な国際競争が繰り広げられており、デンソーでは新たな技術開発や速やかな生産拡大が急務のため、その製造拠点を創出することを目的としています。
バンテリンドーム2個分を敷地とする造成現場は大変広大でありながら、山を切り土して盛り土することで土砂搬出入を行わない計画としており、環境に配慮された事業となっています)
→ 中川物産株式会社創立50周年記念式典
(縁あって懇意の企業が創立して50周年を迎えられ、その記念式典に招待され、参列してきました。
1967年の創業以来、高度成長期、オイルショック、モータリゼーションという激動の時代において、国内外での石油製品の販売を中心に、オイルターミナル事業、陸運・海運事業を展開する企業グループとして成長され、直近2021年10月期の売上高は201,387百万円となった今でも、お客様のすぐそばで必要とされる企業であり続けたいという想いのもと、地域に根ざした企業活動を展開されています。
株式会社ミックの大山会長が乾杯の挨拶で紹介された、オイルショック時に中川会長から受けた恩は決して忘れないという当時の逸話をお聞きし、お客様本位の正直な商売の大切さを痛感しました。
式典後は祝宴が催され、大変賑々しく、半世紀で紡いだ信用の面積の広さを目の当たりにしながら、普段から誰とも分け隔てなくお付き合いされる中川会長の懐の深さを再認識することとなりました。
祝宴後はいつもの少人数で2次会へと移動し、式典の成功を祝しました)
(小職:右から2番目、中川会長:右から3番目)
*7/29 盆踊り
(長篠町にお邪魔しました。
日が高い内から、子ども連れのご家族が大勢詰めかけ、子どもたちは設営されたゲームコーナーで楽しそうに遊んでいました。
金曜日とあって、仕事帰りのお父さん方も沢山訪れており、子どもたちと約束して早く帰ってこられたのだろうと微笑ましく思いました)
*7/30 三河龍馬会総会・講演会
(総会後の講演会では、ジョン万次郎直系5代目の中濱京さんによる「龍馬と万次郎」と題して軽快なテンポでの講演がありました。
(右:中濱京さんと。ジョン万次郎5代目子孫)
講演後には、招聘していた知事も駆けつけ、一緒に知立駅周辺整備事業の現地視察を行いました。
知立駅周辺については、(龍馬も行き来し泊まったかもしれない、)かつて大いに賑わった池鯉鮒宿になぞらえて、平成29年度に知立市職員と市民有志による「街並みデザインプロジェクト会議」において構想され、駅周辺の公共空間(道路・公園・駅前広場)について、「現代版宿場町」をコンセプトとしてデザインしたものの、構想の具現化に向けた知立市の姿勢はこれまで、構想案を関係機関と協議・調整した後にその取扱いを決めるという極めて消極的かつ曖昧なものであったことから、実際にどの程度具現化する気があるのか、予定されていた市長による現地での説明に一縷の期待を掛けていましたが、「プロジェクト会議による構想案は素晴らしい」ものの、「お金がない」といつもの如く逃げ口上するのみで、会員視察団をそっちのけで終始知事にくっついて離れず、説明は疎かであって、期待外れの内容でした)
※知立駅周辺街並みデザインプロジェクト構想案
https://www.city.chiryu.aichi.jp/soshiki/toshiseibi/toshikaihatsu/1520814591641.html
→ ドリームマルシェ
(知立駅周辺遊休地を利用した青空市に出掛けました。
かつての賑わいを取り戻すことを目的に開催されているマルシェにはオープン前から多くの市民の皆さんが集まっていました。
知立駅という鉄軌道の結節点であるものの、市内外の方々のニーズに応える目的物が駅周辺にはないことが、真の賑わい創出に欠ける決定的な課題であるため、マルシェ以外の仕掛けを早急に生み出さなければなりません)
→ 盆踊り
(谷田町に出掛けました。
日が高い内の開催であり、昔遊びの手作りコーナーでは子どもたちで賑わっていました。
盆踊りでは、櫓を組まず、音楽を流すだけでしたが、子どもたちが輪になって、嬉しそうに踊っていました。
続いて、本町にお邪魔しました。
文字通り、知立市の中心に位置し、旧東海道池鯉鮒宿の旅籠屋が軒を連ねた由緒ある町です。
こじんまりとした規模の町内であることから、結束は固く、馴染みの皆さんが輪になって楽しそうに踊っていました)
*7/31 知立市議会議員選挙
(巷間予想されていたとおり、無投票となりました。
当選人にはそれぞれ、現職には経験に応じた真価が、新人には即戦力としての技量が問われます)