唐突にと思われるかも?ですが
明日でスピッツ
ひみつスタジオツアーが最終日を迎えます
長いツアーでした
草野マサムネ氏のコロナ感染で
最終日が明日へとずれ込みました

私がこのブログへの最初の投稿は「スピッツ」でした
これだけ投稿したら辞めるつもりでした
でも、あとから後から言葉が溢れました
感慨深い思いがあります



今日、外出先から帰宅すると留守電のランプが光っていた

それは先日 
申し込んだ、母のケアハウスのスタッフからのものでした
こちらから折り返すと

予定より、かなり早いと思われるかもしれませんが、部屋が用意できます
一度お母様と見学にいらして下さい。との内容だった


えっ!?こんなに早く

いざそうなると様々な思いが去来します

母は嫌がらないだろうか?
施設に馴染めるだろか

準備、どうしよう?私、一人で大丈夫かな
昨年、一人で引っ越しをやり遂げた私だけど
あの時のパワーは今は何処へやら
もうすべての、性も根もとっくに尽き果て
ただの体たらくなおばさんと化している

あ〜、ことごとくひたすら不安だ


そして、とうとう一人か、、、との感傷
その思いが予想以上に心を引っ張る

いつか食べさせてあげたい、と思っていた
美味しいお寿司屋さんヘもまだ連れて行ってあげてない

昨年、うっかり観そびれた「モエレ沼の花火大会」は?!


なんだか、だんだん母に申し訳なくなってくる

最愛の人を亡くし
こんな不安定な娘を心配して
人生の最終章と言えるその年代に慣れ親しんだ土地を離れ来てくれた
なのに、、、


「最後まで診てあげられなくて
せっかく来てくれたのに、、、
こんな思いさせてごめんね」

耳が遠い母にも聴こえるように
大きな声で私は言いました


これは北海道便なのですが、母は

「なんも、なんも」と

いつもそんな言葉使わないのに
なんも、なんも、と


5年前の父との最後の会話を思い出します
これがきっと父に会える最後、そう思った私は

「一生懸命働いて、大きくしてくれてありがとう」と父に言いました

すると、やはり父も

「なんも、なんも」と、言ったのです

なんも、なんも、とは
「そんなことないよ、だから気にしなくていいよ」という北海道の方言です

これも愛なのでしょうか



夫が居なくなりちょうど2年を迎えます

そんな時に舞い込んできた話しです

戸惑っていると思うけど
後々、考えたら悪い話ではないからね、だからいいんだよ

そういうことなのかもしれません
そんな事、徐々に鮮明になりつつある脳みそで考えてました


思い起こせば
夫が亡くなってから
よくわからない、激流に流されてきた

本当は気持ちはあっちへ行きたいのに
それは違うぞと、何かに押され流されもみくちゃにされて
たどり着いたらそこが正解
みたいな事が多々ありました

何があってもどっしりとした人でありたいなと思う
そして、そつなく淡々とこなす人でありたいと思っている

けれど、実際の私は何かあると、オロオロする
そして、格好悪くいちいちウロウロうろたえる

私は霊感など全くなくて
ましてや夫が守ってくれてる、とも思っていない

けれど、私達夫婦が好きだった
スピッツツアーの最終日は
夫の祥月命日でもあって

その前日に来た母の施設入居の話し


これもまた愛なのかもしれない
なんて、こじつけかな?



もしくは、またここで、私の流れが何かひとつ変わるのか?
霊感はないけど
長年、漁(釣り)で鍛えたカンはあるぞ


そんななんだか理由のわからない
根拠のない自信がやっと湧きつつある夜です


スピッツ、ひみつスタジオツアーで最後に聴いたアンコール曲
「P」が、ずっと頭の中で流れてます