えさ不足によると思われるクマの人身被害が後をたたない。人による自然破壊、異常気象と理由を挙げれば枚挙がないが、簡単にはとめられなさそうだ。一方で、日本では、特殊詐欺などの凶悪化する犯罪についに16歳の低年齢化がすすんだ。指示役で逮捕された夫婦に関して、妻の容疑者を「相手を大切にする」側面がある、というコメントが一部でされているようだが、人をみる目のないコメントである。やさしいフリができる極悪人は山ほどいる。要は「人による教育破壊」と私には写る。50年以上前に岡潔氏が警告されていたように、人らしい情がないのは、大脳前頭葉が発育されていない、さらに、野生動物のように自動調節機能が働かない脳のせいで、残虐さに歯止めがかからないのであって、それらを、これまた、大脳前頭葉の発育不足の人たちが、「なぜだろう」と不思議がっている状態が現状の姿なのだと思う。「発達障害」というのは容易いが、これが現代教育の結果となれば、これは国の責任にもつながってくる。国を挙げて、日本の教育がずたずたになってしまった、というのが私の印象である。衝動的判断を助長する教育ばかり推奨されて(○×方式はその典型)、考えて考え抜く訓練を軽視するような教育こそ、元凶なのだと岡潔氏は、過去に述べている。さらに、当時の昭和時代の状況でも、よい方向に改善できたとしても、修正するのに数百年はかかる、と予測していた。また、教育をよい方向にむけられなければ、日本は滅びる、とまで言われていた。吐血されるまで「警鐘乱打」の内容をエッセイに書き続けたのだが、世の中は暗黒のほうにひたひたと向かっている。かつて地球では、氷河期で、ある程度の生物種は絶滅を余儀なくされ、氷河期が終わって、生き残った生物が、また、活動を広げていったのだそうだ。人類が、今後、その滅びることを余儀なくされる種なのか、人類の一部の種が滅びることを余儀なくされるのか。少なくとも、今の日本人に明るい要素は感じられないのは、個人的な悲観であろうか。

ポーランド産のズブロッカは、パイソンの草が入れてあり、香りが桜の花のよう、とよく言われている。カクテルの王道マティーニのアレンジレシピにこのズブロッカを使ったウオッカマティーニがある。桜の季節に合う、とか、桜の香りがして飲みやすい、とどこかのブログで読んでから、時々、このカクテルを007をまねしてシェークして飲むことがある。

開高健もこのズブロッカをある時期、好んでのんでいたと、これまた、どこかのブログに書いてあった。検索で、開高健とズブロッカを掛け合わせて調べたのは、そもそも、どこかの彼の著書(地球はグラスのふちをまわる、だったか?)で、ブレンディッドウイスキーに飲み飽きて、ウオッカを飲むことが多くなった、という箇所があり、そこに、「白いシーツのような」、という表現があり、確認してみたくなったからである。白いシーツ、とは、清楚で癖のない味、という意味で使われていたように記憶している。その表現が、頭に残って、その後、いろいろなウオッカを試してみることになったのだが、本場、ロシア産(といっても、実際は、ウクライナのキエフで味わった)ウオッカは、日本で売られているスミノフのような味とは違い、クリーンだが腰の強い麦のかおりが奥に残り、鮮烈な印象を持った。他の酒と同様にウオッカも、現地で飲むと飲まないとでは違うものだ、という印象を持った。

「白いシーツ」のようなウオッカを飲み続けた開高健はその後、シングルモルトウイスキーに出会い、ふたたび、ウイスキーをよく飲むようになったとか。マッカランを赤い顔して酔いながらのむ写真を雑誌ではみかけるが、ホント世界中のいろいろお酒を、それも安酒から超高級酒まで体験されたのには、58歳で亡くなられたにしては、すごすぎます。

「オーパ」の釣紀行エッセイの著者、開高健は、サントリーの広告塔でのコピーライターだけでなく、ベトナム戦争の記録を残すために朝日新聞の特派員を務めたりと、釣師や様々な顔を持つ芥川受賞経験のある作家である。その文体は、難解な言い回しもあるし、下ねたに近い表現もあり、古今東西の書物を幅広く読んできた読書家らしい知痴性あふれる人物であった。その彼が、小説を書く際に、いく度となく、筆が止まり、何ヶ月も一文字も書けない状態がしばしばあったと自分で述べている。一言一句に魂を込めようとするとかえって言葉が浮かばなくなるのが、なにか、プロフェッショナルな境地をうかがわせる。芥川龍之介や夏目漱石といった天才作家が創作する世界もそのような気軽に言葉が連なる作文とは違う、創造物であったろう。開高健の作品も本人以外は、書けそうもない体験と表現がちりばめられている。

一方、今の世間であふれかえっているSNSによる情報は、軽薄な表現がいともたやすく発信され、フェイクの嵐が渦巻いている。コロンブスが発見した大陸の大統領が、品のない表現で、軽率に情報をツイートしているのだから、ことばに重みのない時代となったものだ。フェイクが拡散して、重大な危機が引き起こされるかも知れず(実際にホワイトハウスで暴動が起きたが)、それが戦争の引金にもなりかねないのに、国のトップが発することばが重みのないSNS情報発信なのだから世紀末の様相である。このようなソフトを開発して億万長者になる人が現れることも予測できない世の中である。youtuber として生活できる世の中もしかり。こういう時代を過ごさなければならないのは、古くなりつつある、あるいは古くなった人には、ともすると暗澹たる思いで鬱になりがちだが、そんなときは、一休和尚の大徳寺の僧侶に残したといわれる遺言「ナルヨウニナル。シンパイスルナ。」という仏教ならではの空の教えを心に刻むことにしよう。このことばは、秋山仁氏の最近の著書から知ったものである。