ポーランド産のズブロッカは、パイソンの草が入れてあり、香りが桜の花のよう、とよく言われている。カクテルの王道マティーニのアレンジレシピにこのズブロッカを使ったウオッカマティーニがある。桜の季節に合う、とか、桜の香りがして飲みやすい、とどこかのブログで読んでから、時々、このカクテルを007をまねしてシェークして飲むことがある。

開高健もこのズブロッカをある時期、好んでのんでいたと、これまた、どこかのブログに書いてあった。検索で、開高健とズブロッカを掛け合わせて調べたのは、そもそも、どこかの彼の著書(地球はグラスのふちをまわる、だったか?)で、ブレンディッドウイスキーに飲み飽きて、ウオッカを飲むことが多くなった、という箇所があり、そこに、「白いシーツのような」、という表現があり、確認してみたくなったからである。白いシーツ、とは、清楚で癖のない味、という意味で使われていたように記憶している。その表現が、頭に残って、その後、いろいろなウオッカを試してみることになったのだが、本場、ロシア産(といっても、実際は、ウクライナのキエフで味わった)ウオッカは、日本で売られているスミノフのような味とは違い、クリーンだが腰の強い麦のかおりが奥に残り、鮮烈な印象を持った。他の酒と同様にウオッカも、現地で飲むと飲まないとでは違うものだ、という印象を持った。

「白いシーツ」のようなウオッカを飲み続けた開高健はその後、シングルモルトウイスキーに出会い、ふたたび、ウイスキーをよく飲むようになったとか。マッカランを赤い顔して酔いながらのむ写真を雑誌ではみかけるが、ホント世界中のいろいろお酒を、それも安酒から超高級酒まで体験されたのには、58歳で亡くなられたにしては、すごすぎます。

「オーパ」の釣紀行エッセイの著者、開高健は、サントリーの広告塔でのコピーライターだけでなく、ベトナム戦争の記録を残すために朝日新聞の特派員を務めたりと、釣師や様々な顔を持つ芥川受賞経験のある作家である。その文体は、難解な言い回しもあるし、下ねたに近い表現もあり、古今東西の書物を幅広く読んできた読書家らしい知痴性あふれる人物であった。その彼が、小説を書く際に、いく度となく、筆が止まり、何ヶ月も一文字も書けない状態がしばしばあったと自分で述べている。一言一句に魂を込めようとするとかえって言葉が浮かばなくなるのが、なにか、プロフェッショナルな境地をうかがわせる。芥川龍之介や夏目漱石といった天才作家が創作する世界もそのような気軽に言葉が連なる作文とは違う、創造物であったろう。開高健の作品も本人以外は、書けそうもない体験と表現がちりばめられている。

一方、今の世間であふれかえっているSNSによる情報は、軽薄な表現がいともたやすく発信され、フェイクの嵐が渦巻いている。コロンブスが発見した大陸の大統領が、品のない表現で、軽率に情報をツイートしているのだから、ことばに重みのない時代となったものだ。フェイクが拡散して、重大な危機が引き起こされるかも知れず(実際にホワイトハウスで暴動が起きたが)、それが戦争の引金にもなりかねないのに、国のトップが発することばが重みのないSNS情報発信なのだから世紀末の様相である。このようなソフトを開発して億万長者になる人が現れることも予測できない世の中である。youtuber として生活できる世の中もしかり。こういう時代を過ごさなければならないのは、古くなりつつある、あるいは古くなった人には、ともすると暗澹たる思いで鬱になりがちだが、そんなときは、一休和尚の大徳寺の僧侶に残したといわれる遺言「ナルヨウニナル。シンパイスルナ。」という仏教ならではの空の教えを心に刻むことにしよう。このことばは、秋山仁氏の最近の著書から知ったものである。

先日、秋山仁氏の著書を読み、もう80歳になられたこと、「終活」はしない、精力的に働き続ける決意、を記された自叙伝を読んだ。独特のキャラクターで「数学」をキーワードに予備校、TV、大学教授と様々な活躍をされてきた人の80年間を自分で振り返るとは、どんな内容かと興味を引かれて町本屋で購入した。予備校の夏期講習で彼の講義を聞いたのが1980年代前半だから、ちょうど、アメリカ、ミシガンへの武者修行から帰国して数年が過ぎていたころなので、まだ、グラフ理論への研究に油が乗り切っていた頃か。鮮やかな数学テクニックの説明以外にタクシーの運転手のアルバイトとか、いろいろ経験談を話され、世間知らずの悩みの多い受験生には新鮮で勇気づけられる評判の高い講師であった。その後、T大学教授に就任されたり、TVのバラエティや教育番組に出られていたのは記憶している。研究者としてよりは、数学教育者としての印象が強く、サイエンスの研究に興味を持つ者として、大数学者「岡潔」氏の著作には傾倒するものの、教育者は違う世界の人、としてあまり興味がなかった人である。その当時、物理の講師に同じく有名で聴講が難しかったY氏がいて、こちらも鮮やかな解答テクニックと説明で聴衆を魅了していた。Y氏もその後、専門書や科学啓蒙書を次々と出版し、社会問題にも問題を投げかけるなど、活発な活動をされていた。浪人時代の限られた時間のみの聴講だが、脳裏にその印象が浮かべられるほどだから、2人とも自分にとって強い影響を与えた人物である。(と言っても、受験対策には、特に役たつことはなく、その後の生き方に影響を受けたので、予備校に通う目的からは、外れた講師たちではあったが。)本を読んでみて、その当時、同じ校舎の控室で机もそう遠くはなかったはずなのだが、思想的には全く接点がない印象を受けた。お互いに超売れっ子講師だったはずだが、異なる世界に生き続けて、独自路線で幅広い活躍をされていったように感じられた。大島渚監督との会話で、人と人との出会いの大事さに気づかされた、とのことだが、それは、自分の目標に関連があっての延長上のつきあいであり、単に距離が近づいて挨拶を交わす、というのとは全く異なる出会いであり、それでも著書からは実に幅広い交友関係を築かれていったことを伺わせられる。そこからは、やはり、いくら年齢を重ねてもまねできない、成功者としての気質を感じる。世間一般が思う数学の才能が優れている云々、ではなく、人間力とういうべきものだろうか。「人に座あり、座あれば輝きあり」とは、いまから20年ほど前に退官された某教授が残されたメッセージだが、秋山氏は、自分が輝くに相応しい「座」を早々に見つけられた数少ない人であり、それを輝かせるために注いだバイタリティーが並外れていることもこの著書から感じ取ることができた。

つい先日、朝ドラで放送されたやなせたかし&のぶ夫妻の半生を描いたドラマやそれに関連する書籍何冊かを読んでやなせたかし自身の生涯をなぞってみて感じるのは、本人は才能がないとなげくのだが、実際は、人並み以上の才能の持ち主で、才能をどう使っていいかわからずに長い間もがいている状態が続いたのち、時が熟れて、世間が彼を欲したときに、ついに念願の漫画家としての人気が大爆発し、全世界に知られることとなった、これまた、「座」を見つけられた数少ない人の一人であった、ということである。凡人と違うのは、芽がでずとも途中であきらめずに、執拗なまでに描き続けたこと。といっても、有名デパートの包装紙デザインで名を残したり、天才手塚治虫といっしょに仕事をしたり、将来歌い続けられるほど有名な「手のひらを太陽に」の歌詞を作ったりと、はたからみれば、決してまねできない偉業を若いときから成し遂げているのにそれでは満足できず漫画に執着し続けられたのは、それ自体が真似しづらい才能といえよう。この2人の成功者に共通していると思えるのは、苦しんで苦しんで生み出している、ということ。この苦しみ自体は、凡人が夢を途中であきらめるまでの苦しみと同質のものと思う。その先に続く苦しみの一線を越えられるかどうかが、一流とそうでないものの差なのだと思う。NHK プロジェクトXに出てくる発明者たちも同じ匂いを醸し出している。一流になるには、ある苦しみの一線が越えられないとダメなのであろう。