数日前の早朝、マリンがマウイを飛び立ち日本へと帰って行きました。
彼女とはラインとかで会話をするようになったけど約10年振りの再会でした。
彼女は暫くの間、社会から離れ生きていました。
そして自分との接触も拒み続けていました。
その彼女が今回マウイまで来てくれたのです!
実は、とても複雑な気持ちでした、、、余りにも久しぶりで。
自分としては、このマウイ島というサンクチュアリーで心と体の ”浄化” をして欲しかったのです。
外へ出て、散歩して、海に入って、、、、マウイを心の底から楽しんで欲しかったのです。
ですが最初の数日は ”時差ぼけ” も手伝って1日の殆どを寝て過ごしてました。
”その内に外へ遊びに行くだろう、、、そう思ってました”
ですが1週間過ぎても、ベッドの上で横になり携帯をいじっている毎日でした。
不思議でした、、。
何故なら、何故このタイミングでマリンがマウイに来る決心をしたか?って事です。
その理由がずーと分かりませんでした。
残念ながら、最初の約3週間はとても落ち着かない毎日でした、お互いに。
もちろん、マリンも ”パパと居ても楽しく無い” そう思っていたと思います。
父親の居ない母子家庭で育ったマリンは今だに幼い子供のようでした。
マリンが2歳になる前に離婚したので彼女とちゃんと向き合ったのは28年振りです。
その長すぎた隙間を40日間で埋める事は不可能ですが、何とか努力だけはしてみました。
2人で共同生活をする事がどんな事なのか、彼女は理解していませんでした。
食事は ”パパが全部してくれるだろう”
洗濯や掃除やその他の事は ”パパが全部してくれるだろう”
恐らくそんな考えだったと思います。
結局、母親が仕事とダンスに明け暮れマリンに何も教えて無い事実に気が付きました。
自分が彼女に出来る事ってなんだろう~そう考えました。
自分なりに共同生活のポイントを幾つか伝えました、厳しく、そして時に優しく。
そんな彼女もいつからか気が付くと、朝起きると同時にソックス(愛猫)のカリカリを補充するようになりました。
ラナイの落ち葉をブルームで掃除するようになりました。
干してる洗濯物を綺麗にたたんでくれました。
食事も自分で作るようになりました。
部屋の中を掃除機で掃除してくれました。
とても嬉しかったです。
マリンは自分のスケボーに興味を持ち始めました。
そして一緒にスケボーもしました、気が付くと膝に擦り傷がありました。
マリンは毎日、海に行き、ウオ―キングをして、スケボーをして、、、そんな毎日に変化して行きました。
マウイに来た当初、日焼け止めを買ってくれる?って聞かれたけど断りました。
何故なら彼女の皮膚は真っ白だったのです。
普通のお店に売ってる日焼け止めはケミカルが沢山入っていて逆に皮膚にとって良く無いからココナッツオイルを勧めました。
でもベタベタするしな~、、、そう思い洗面所に置いてあったハワイ産のいい香りのするクリームを勧めました。
マリンは毎日そのクリームを塗って外出してました。
気が付くと、全身がとても綺麗にこんがりと日焼けしてました。
全く日焼け止めの効果は無く、日焼けクリームだったかもしれません、、、笑。
マリンがマウイに来て約1か月経過してからお互いの関係に変化が見えて来ました、と言っても自分に対するマリンのスタンスは同じでした。
マリンとの生活でフランキーの中で大きな心の ”浄化” が起きたのです。
その浄化は自分にとってとても大事なイベントでありました。
”マリンが今回何故マウイまで来ようと思ったのか?”
その答えが分かりました。
彼女は自分に対して、メッセンジャーとしてマウイまで来てくれたという事です。
何故、彼女が自分のメッセンジャーだったかって気が付いたか、、、それは一言では説明出来ないです。
3次元では彼女は ”30歳” です。
でも彼女は信じられないぐらい ”純粋” でした。
母親へのお土産を一生懸命探してました、心を込めて。
彼女自身へのお土産は自分があげた日焼けクリームの4本セットを買ってました。
家に帰り、そのクリームセットを手に取りとても嬉しそうに眺めていました。
こんな小さな事に感動出来るマリンを見て、”天使” に見えました。
厳しく接して涙を流していたマリンもいました。
とても後悔してます。
今回、マリンから学んだ事があります。
それは ”愛” でした。
体は小さいけど、、、でもとても大きな愛を持っていて、父親である情けない自分をとても愛して居てくれる女性でした。
彼女に色んな事を教えてあげようとか、子供だから教育しようだとか、、、、
とんでも無い!
自分が学ぶ時間だったんです。
ありがとう、マリン。