・`ω・) 歌うことは二倍祈ることと言われても… | ・`ω・) 役に立たない!カトリックまめ知識 & 雑学のblog

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カトリック信徒以外の方々が、カトリックに対する素朴な疑問を解消することを目的として雑学やマメ知識を公開しています。たまにカトリックに無関係なことも書きます。

客観的に「宗教」や「信者」と言うと、
代表者等の言うことには、
何でもかんでも異論なく右へ倣えで、
はい、信じます、信じますとも!的な
イメージがあるかと思いますが、
今日の話は結論から言うと、
そうとは限りませんよ、とゆーお話です。

僕の実体験に基づいて、そのいち例をば。

世界中の諸宗教と音楽は
切っても切れない関係と言っても過言ではなく、
カトリックとて例外ではありません。

そんなカトリックでは古くから、
「歌うことは二倍祈ること」
と言われています。
四世紀のアウグスチヌスという、
当時の司教による言葉だそうです。

そのこと自体を否定するつもりはありませんが、
これを言われると僕はつい、
過去の苦い経験を連想して、
身構えてしまいます。

ちなみに僕は、
カトリックに生まれついたものの、
幼かった頃から今でもなんとなく、
聖歌や聖歌隊には消極的です。

聖歌隊から声がかかることは
たまにあったんですが、
活動内容や活動する人々になんだか、
関心がわかなくて。

まあ、歌が下手な自覚が
あるからなんですけど。

ある時、それまでしつこく勧誘してきた奴が、
何度誘っても自分の思い通りにならないことに
腹を立てて、こう言ったんです。

「歌うことは二倍祈ることだ。
 つまり聖歌隊に加わらないお前は、
 俺の半分しか祈れていない。」

なんだかもう、自分の尺度だけで
人を裁こうとするそいつの器の小ささに、
腹が立つを超えて呆れましてね、
僕はこう問うたんです。
「俺は自分の意思で聖歌隊に加わらないことを

 選択した人間だが、その理屈では、

 障がい等が原因で声が出せない人は、
 お前たちの半分しか祈れないことになる。
 お前はそう言いたいのか?」

彼からの答えは、
「そういう屁理屈を言うな」
でした。

余談ですが、
自分の言い分だけは最もらしく言う反面、
相手の言い分に対して取り合うのが

めんどくさいから、
「それは屁理屈」の一点張りするバカって、

たまにいますよね。

…さて話を戻しまして、
カトリック生まれの僕が過去に、
聖歌隊の人からうけた無礼な言動の
一例を挙げました。

このように、
持論で人を低く評価して正義漢ぶる偽善者は、

民族や宗教を問わずどこでももいるでしょうが、
僕の実体験ではそれと聖歌隊が
リンクしたってそれだけのことで、
聖歌や聖歌隊が悪いわけでは、
決してないんですけどね。

なので、
「歌うことは二倍祈ること」とは、
教会で長年言われていることではありますが、
僕にとっては、
独善主義を助長する奴らの口癖なので、
その言葉を聞くと僕はつい、
身構えてしまうのですね。

それを言ったアウグスチヌスには、
何かしら意図があった筈ですし、
「歌わない奴は歌う奴の
 半分しか祈ってない」
なんてたぶん、曲解もいいところでしょう。

まあ今回の記事は、
ほぼ僕の愚痴になってしまいましたが、
本当に言いたかったことは、
カトリック信徒だからって、
カトリックで公に言われていることの全てに、
両手放しで賛同しているわけでは
ありませんよ、とゆーお話でしたとさ。