・`ω・) フランシスコ・ザビエルの生涯(2/26) ~大学時代~ | ・`ω・) 役に立たない!カトリックまめ知識 & 雑学のblog

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カトリック信徒以外の方々が、カトリックに対する素朴な疑問を解消することを目的として雑学やマメ知識を公開しています。たまにカトリックに無関係なことも書きます。

~大学時代~

さて前回の記事では、
フランシスコがナバラ王国(現在のスペインの一部)で生まれ育ち、
パリに留学することが決まったところまでをお話ししました。

ちなみに当時、陸上の移動手段と言えば、
徒歩か馬しかありませんでしたから、
留学と言う言葉の持つニュアンスは、
飛行機や自動車が普及している現代のものとは大きく異なります。
当事に留学を決心することは、一生故郷に帰らないのが前提。
また、道中何が起こるか判りませんので、
目的地に到着するとは限らない、命がけのものでした。
よってパリへの留学の決意は、故郷との別れを意味しました。
実際にフランシスコは後の生涯で、
故郷に足を踏み入れることはありませんでした。

貴族階級の生まれで、故郷での裕福な生活が
約束されていたにも関わらず、家族に別れを告げ、
学問の都であったパリを目指したフランシスコ。
相当な勇気の要る決断だった筈ですが、
親しみを込めてあえて言うなら、変わった奴です。

兎にも角にも、パリで大学生になったフランシスコ。
通信技術など勿論なかった当時、
流通する情報はごく限られていましたから、
それまでのフランシスコにとっての「世界」とは、
せいぜいヨーロッパのみでした。

ところが、学問の最高峰であった当時のパリは、
さまざまな地域の情報が入ってくる都市。

フランシスコはこのとき初めて、
ヨーロッパの外には見知らぬ世界が広がっており、
アフリカ・南米・インド等、フランシスコにとって
未知の地域や民族が存在することを、理解したようです。

後に世界に向けて宣教の旅に出ることになった
フランシスコ。使命感のスイッチが入ったのは、
この時期だったのかも知れません。

そんなフランシスコは、大学入学直後に
なんと悪い仲間と関わってしまいます。
授業をサボったり、夜中に寮を抜け出したりして
遊びにいくこともあったんだとか。
ちょっと意外ですね。

もちろん、このままではいけないと感じたフランシスコ。
彼らとの人付き合いを断ち切る決断をしました。

当時ティーンエイジャーだった彼にとって、
級友との付き合いを断ち切ることは、
勇気の要る決断だったとは思いますが、
そこは、鋼鉄のド根性の持ち主であるフランシスコ。
当時の悪い仲間たちと絶縁しました。
ちなみに、絶縁した元友人のうち一人は、
その後間もなく、病死しています。

そんなこんなで、新しく級友となったのは、
イニゴ・デ・ロヨラ。後のイグナチオ。
この出会いがフランシスコの一生を
大きく動かすことになります。

イニゴは当時38歳でありながら新入生。
軍隊を除隊してから学生となった、今で言う社会人学生。
フランシスコの兄たちの所属していたナバラ軍と
戦ったこともあったためか、
フランシスコとイニゴの間に当初は確執があったそうな。

ところが間もなく二人は意気投合し、数人の仲間たちと共に、
「自分たちの生涯をイエズスに捧げよう」と決心します。
この仲間たちこそが、現在では
世界最大規模の男子修道会として名高い、
「イエズス会」の前身です。

ちなみにこの時期にフランシスコは、
母と姉が亡くなった知らせを受けています。
彼の学生生活は、悲しみに打ちひしがれながらの
ものであったに違いありません。

~つづく~